ゆっくりで良いのに|日曜の夕方、ちびまる子ちゃんを観る

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正直に今日は告白しよう、日曜日の夕方、私がテレビで何を観ているかを。実はアニメの「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」である。隠すつもりはなかったし、だからと言って堂々と公表する必要もないし、ただ「何となくそのチャンネルを付けていただけだから」と思ってきた。でも、先日の「ちびまる子ちゃん」の一場面が、「どうして日曜日の夕方に、子ども向けのアニメ番組を見ているのか」を教えてくれた。だからこうして恥ずかしながらも、ここに書くことにした。

「お母さん、まる子の髪を切りたい」の巻。友だちが美容院に行ったことを聞いて、お母さんに髪を切ってもらっていたまる子ちゃんは、自分も美容院に行きたいと言い出す。許してもらえなかったが、お母さんが美容院に行く時に付いて行く。待合室の豪華さに、ますます憧れるのだが、ある夜、夜中にお母さんとお父さんの会話を障子越しに聞く。母「それにしても、美容院に行きたいなんてネ、初めて切ってあげた時は、あんなに嬉しそうだったのに。」父「まる子のやつ、お母さんに切ってもらったんだって、何度もオレに見せにきてナ。」母「あっという間に成長するんだから、もう少しゆっくりでいいのに。いつまでさせてもらえるのかしらネ、あの子の髪、切るの。」父「手が離れていいじゃないか。」母「まぁね・・・」。(9月15日フジテレビ「ちびまる子ちゃん」より)

経験から言えば、まる子ちゃんのお母さんのように「ゆっくりでも良いのに」と思えるようになったのは、手を離れ何かしてあげたいと思っても「別になにもない」と無下に断られるようになってからだ。だから「子どもの成長が早い」のではなく、「成長をゆっくり楽しまなかった」というのが実態だ。そして「ゆっくり成長を楽しまなかった」という後悔が、務めを終えた日曜の夕方に子どもたちと一緒に観ていた「ちびまる子ちゃん」の世界に私を誘うのだと、お母さんの呟(つぶや)きが教えてくれたのだ。

イエス様が天に昇られた後、弟子たちも「もっとゆっくり先生と過ごせたら良かった」と思ったかもしれない。だから、文章をしたためることよりも、周囲の人々にイエス様と過ごした懐かしく温かな時を語り告げることに喜びを見出したのではと、思ってもみる。いやいや「御言を宣べ伝える」ということは、雄弁に語ることよりも、共に生きることをゆっくりと楽しむことこそが大切なのではなかろうか。

最後にお願い、「日曜夕方にアニメに見入っている定年前の牧師の姿を想像する」という悪趣味は、くれぐれもなさいませんように!

 

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