我慢すること

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次男が小学生の頃、遊びに出かけていた友達の家から帰宅して、ポツリと「ボクもひとりっ子が良かった」と呟いた。「どうして?」と聞くと、「友達は兄妹がいないから、お菓子もオモチャも独り占めできる」と。それに対して私がどう応えたかは記憶にないが、姉二人兄一人の4人兄弟の末っ子、好き勝手にできないことも確かである。お菓子は必ず四等分にされてしまうし、オモチャだって好きな時に好きなだけ遊ぶ訳にはいかない。「我慢」は日常茶飯事、それも仕方ないと受け入れるしかないのだから、一人っ子の友達が羨ましく思うのも当然だろう。ともあれ、「自分から我慢すること」で耐える力に繋がってくれるのではないかと子育てしていた記憶がある。ただ、押し付けられた「我慢」ということにならないように、時々一人だけ連れ出して買い物に行ったり、動物園やちょっとした遠出をしてあげたり、つまり「自分だけ」の特別な時間を作ってあげるように心がけたつもりだが、それが子育てとして良い選択であったかどうかは今もって分からない。機会があれば、子どもたちに聞いてみたいものだ。

2年前、最初の緊急事態宣言が出された頃、あるご婦人と電話していた時、「不要不急の外出禁止は辛いですよね。」と話す私に、「戦争中を知っているので、これくらいのことは何ともありません。」と語ってくださった。我慢を強いられた経験が、そのように語らせたのだろうけど、あれから2年、このご婦人の言葉がいろんな時に思い出されて自粛を続ける私を励ましてきた、「いきなり爆弾を落とされる訳ではないし、予防をきちんとし、コロナ禍が収束するまで我慢するだけのことではないか」と。その意味では殆どの人々が、「我慢すること」を選択して今に至っていると思う。自分から我慢することを幼少の頃に体に沁み込ませていたのかもしれない。そんな風に思えたので、私も亡き両親に感謝!

「この戦争にNOを突き付けたいのなら、私も含めて日本の人たちには、制裁によって生じる不便を覚悟をもって受け入れ、ウクライナと共に耐え続ける姿勢を貫いてほしい。そう感じている。」(朝日新聞3月24日夕刊)16年間ウクライナに住み、ロシアの侵攻によりキエフから避難した日本人女性が寄せた手記の最後の文章である。この一ヶ月、私に出来る支援をしようと心がけてきた。今もう一つ、戦争の終結と復興のために「我慢すること」を付け加えよう。

「わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。」(ローマ5:3〜5)

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