逃れの道|互いに愛し合う心がもたらす道

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2020年3月頃、1枚の聖句入り葉書を皆さんにお配りした。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(1コリント10:13)本当は私自身がこの御言葉を必要としていたからであった。しかし、逃れの道どころかその道筋すら見えない状況が続き、息苦しさばかりを募らせていた。その年の末になりワクチンの情報が入り始めて、「ワクチンという逃れの道が与えられた」という思いを強くした。でも今思うのだが、「ワクチンは神が備えてくださった逃れの道だったのか」と。

今年9月、私はとんでもない失敗をしていることに気付いた。二つの保育園のクリスマス礼拝が同日ほぼ同じ時間、即ちダブルブッキングしてしまったのだ。何故そうなってしまったのか、何故9月まで気付かなかったのか・・・。二園は法人が異なり、直接連絡を取り合うことはないため、私を経由して年間行事を立てる。特にクリスマスは24日の前の土曜がA園、その一週間前にB園というのがほぼ慣行となっていたので、間違いなく重ならないようにできる筈なのだ。ところが今年の春先、年間行事の相談を受けた際、「先生も大変でしょうから今年のクリスマスは1週間早めて良いですか?」とA園に聞かれて、安易に「良いよ!」と。B園からは「いつものようにクリスマスを予定して良いですか?」と聞かれて、ここでも安易に「良いよ!」と返事した。双方に返事をしておきながら、スケジュール表に直ぐに記入しなかったのが失敗の始まり。その後は夏の行事などに追われやっと9月になって「そろそろクリスマスのことも・・」とA園に連絡を入れると「今年は先生も良いよとおっしゃってくださったので一週間早めで!」「日程、何とかいつものように出来ない?」「もう保護者に連絡してありますので、出来ません!」窮地に立たされた次第。「いつもの先生に来て欲しい」、両園の思いに感謝しつつ、苦肉の策でA園の開始を30分遅らせることでギリギリ何とかなるかと思っていたら、B園からも「15分早めたら急がないで帰れますか?」との連絡。両園のご配慮で、クリスマス礼拝同日実施のための「逃れの道」が与えられホッとしている。

「逃れの道」そのものを神が与えてくださるのではなく、「互いに愛し合いなさい」と言われる神に従っているところに「逃れの道」が現れる。ワクチンもまた同じ。科学者たちの人間への愛があったからこそ早期の実現となったのであり、「互いに愛し合う」ことを願っておられる神のご意志に従うところに、「逃れの道」は現れるのだ。

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