沈黙する|沈黙は信仰の糧なり

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「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない。(マルコ9:9他)イエスがホレブ山にペトロ・ヤコブ・ヨハネの三人を連れて登り、栄光の姿をお見せになった後、山を下りる前に彼らに告げられた言葉である。「イエスが復活するまでは沈黙すること」を命ぜられたのは、イエスが誰であるかを正しく理解することができないからであった。そしてもう一つの意味を、旧約時代の「エリコ陥落」の出来事の中に見出すことができる。

モーセに連れられてエジプトを脱出した民は、彼らの不信仰もあって40年間を荒野で過ごさざるを得なくなった。やっと約束の地カナンに到着した時に、彼らの前に立ち塞がったのが強靭なエリコの城壁であった。城壁攻略のために神が授けられた方法は、実に奇妙なものであった。それは、城壁の周りを神の箱と角笛を携えた祭司を先頭に兵士たちが続き、六日の間は一周周り、七日目には七周周るというものであった。更にヨシュアは民にも告げた。「『わたしが鬨(とき)の声をあげよと命じる日までは、叫んではならない。声を聞かれないようにせよ。口から言葉を発してはならない。あなたたちは、その後で鬨の声をあげるのだ』と命じた。」(ヨシュア記6:3~10)つまり、「角笛を吹き鳴らしつつ周回するが、民は沈黙のまま行進し、七日目の七周目に角笛が高くそして長く鳴り響くと、それに呼応して鬨の声をあげる」という命令だったのだ。城壁の中のエリコの人々には不気味であったことだろう。しかし、ひたすら沈黙したまま城の周りを周るだけというのもまた不安であったのではないだろうか。何故神は「沈黙すること」を命ぜられたのだろうか。

決起集会などを行い、戦意を高揚させることは良くあることである。しかし、エリコの戦いは、単なる戦いではなく信仰の戦いであり、試練の時であった。かつてべエル・シェバから約束の地に入ろうとした時、人々は約束の地に「巨人(恐らくネフィリムと呼ばれた民)がいるという報告に戦意を喪失してしまった。(民数記13章)神を見失っていたからであった。荒野の40年を経て、ひたすら神への信頼を思い起し確信させるために、神は今一度敵の前であっても沈黙することで、試練と共に彼らに冷静さを取り戻させられたのではないだろうか。同様に栄光の輝かしい姿を見た弟子たちへの沈黙の命令は、「私が誰であり、何によってあなた方を救おうとするのかを、心静めて見ていなさい」という命令であったのだろう。

時には「沈黙は信仰の糧なり」と意識することは、私たちにも必要ではなか。

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