
今日の悩みを明日に延ばすな
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイによる福音書6章34節)
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイによる福音書6章34節)
「いらすとや」というのはあれじゃな、イラストレーターのみふねたかしさんが運営する、無料でイラストを提供するウェブサイトのことじゃな。 いらすとやで「ル...
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。(ルカ24:36)
主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い……ど。」(哀歌3章22、23節)
イースターはイエス・キリストが十字架で死んで復活されたことを祝う、キリスト教で最も大きなお祭りじゃ。復活祭とも言う。 2021年のイースターは4月4日...
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。(ヨハネ13:5)
主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。(イザヤ書40章31節)
なんじゃ?節分、バレンタインときて、今度はひな祭りか? 年がら年中祭りだらけじゃないか。日本人は忙しいのう・・・。 ひな祭りというのは、女の子の健やか...
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。(ヨハネ19:25)
だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイによる福音書6章34節)
主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い……ど。」(哀歌3章22、23節)
主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。(イザヤ書40章31節)
老いの日にも見放さず、わたしに力が尽きても捨て去らないでください。(詩編71編9節)
神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ず そこにいまして助けてくださる。 (詩編46編2節)
主を待ち望め、雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め。(詩編27編14節)
わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。(詩編23編5節)
悲しみ、嘆き、泣きなさい。笑いを悲しみに変え、喜びを愁いに変えなさい。(ヤコプの手紙4章9節)
あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたも永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。(ペトロの手紙一、5章10節)
こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。(ルカ24:36)
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。(ヨハネ13:5)
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。(ヨハネ19:25)
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3:16)
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は、バラバという悪党が主イエスの代わりに恩赦を受け、解放されていく場面です。いつも読んでいるはずなのに、いつも新しい発見があるのが聖書のみ言であるともいえるのではないでしょうか。それは聖書のみ言が今、読む一人ひとりに生きて働きかけられるからなのです。
「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される。」(マタイ26:2)
招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。(マタイ22:14)
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に語られているイエス様のお姿は、いつも語られている温和でやさしいイエス様のお姿とは全く違い、激しく怒り悲しむ姿が語られています。しかし、イエス様は決して感情的にヒステリーを起こして、周りの人々に当たり散らしたのではありませんでした。
主はわたしに言われた。「イスラエルとユダの家の罪はあまりにも大きい。この地は流血に満ち、この都は不正に満ちている。彼らは『主はこの地を見捨てられた。主は顧みられない』と言っている。」(エゼキエル9:9)
Q わたしはいつも物事を悲観的・否定的に捉えてしまい、なかなか前向きになれません。どうしたら良いでしょうか。 A お気持ちは良く分かりま...
私は今子育てのまっ最中。子どもを取り巻く環境は、これは危ない、あれも駄目と規制だらけ。もっと伸び伸び子どもを育てたいと思っているのですが、少しでも危ないと思うとついつい子どもを手許に引き寄せてしまいます。どんな心がけが必要なのでしょうか。
わたしは完全主義だと人から言われます。事を始めるとついついのめり込んでしまって、疲れ果てるまで自分を追い込んでしまいます。もう少し、余裕をもって物事に取り組みたいのですが、どうすればよいでしょうか。
物事をはっきりさせることは、それ自体悪いことではありません。しかし、世のなかで起こることが、すべて白黒はっきりしたことばかりとは限りません。とくに人間の問題にはあいまいなことや不確実なことが付き物です。
Q 人には言えないような大きな問題を抱えて、毎日過ごしています。気の晴れない重たいものが、何時もこころの中を占めていて、一向に晴れやかな気持ちになれません。問題を抱えたまま一生を過ごすのかと思うと情けなくなるばかりです。
Q 私は生まれつき体が弱く、何をしても体力が長続きしません。もう少し強い体に生まれついていれば、こんなことはないのにと口惜しい思いをすることもしばしばです。
Q 人前に出るのが苦手で、学校には行っているのですが、なるべく人と顔を合わせないように、授業が終わると逃げるようにに帰ります。他人と話しているとだんだん息苦しくなってくるからです。これでは、いけないと思っているのですが、ひとりのほうが気が休まるのです。
Q どのようにして毎日を生きていけばよいのか迷っています。自分の人生をどのように生きていけばよいのか分からないのです。最近では考えるのもいやになって、こうなったら、なるようになれといった気持ちです。
Q 私は、いつも失敗ばかりしていて、受験でも就職のことでも、そうなんです。どうして私ってダメ人間なんだろうと思ってしまいです。もっと自信を持って生きたいと思っています。自信ってどうやって身につくのでしょうか。
Q これから先、どうしたらよいか、分かりません。何をやってもうまくいかないのです。もし、安心できる世界を自分の中にもてば、どのような辛い時も勇気をもって生き抜くことができると思います。どうしたら安心して生きることができるでしょうか。