
信じる強さ
新約聖書の一番始めから読もうとして人の名前が、しかも、あまり日本では聞き慣れないカタカナの名前がずらずらと書かれていて「よし、聖書を読むぞ」という決心が何度もくじけそうになった覚えはありませんか?
新約聖書の一番始めから読もうとして人の名前が、しかも、あまり日本では聞き慣れないカタカナの名前がずらずらと書かれていて「よし、聖書を読むぞ」という決心が何度もくじけそうになった覚えはありませんか?
「神様からのお導きで」とか「イエス様のお導きで」という言葉はなんの抵抗もなく私たちは聞きますが「霊のお導きで」というのはなんとなく怪しいように聞こえることがないでしょうか?
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「使徒3:1-10」において、ペトロというイエス様の弟子の一人である人が、仲間のヨハネと、生まれつき足が不自由で歩くことができなかった人を自分の足で立ち上がって歩けるようにする奇跡を行います。
最近、私は特に思うことがあります。それは自分は入院した病院から帰ってこれるのだろうか、と不安に思うことです。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所のヨハネ15:16で、イエス様はこのように語られます。
皆さんはこんな光景を見たことありませんか?少し混んでいるスーパーやデパートの売り場で、迷子になって「ママー、ママー」と泣き叫んでいる子どもを。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に語られているイエス様のお姿は、いつも聖書に語られている温和でやさしいイエス様のお姿とは全く違い、激しく怒り悲しむ姿が語られています。
「ねぇ、本当?」そのように言いたくなるような言葉が弟子の口から語られます。
私たちが今生きている世界が、とてもとても大きく感じることもあれば、とても小さく感じることもあります。
私たちはいつも、私たち一人一人のために、キリストイエスが十字架の苦難の先の、命への道を歩まれておられることを思い返す日々を共に歩んでます。