祈る時の聖書 ~いろいろな祈り~

詩編61編

​ 61:1 【指揮者によって。伴奏付き。ダビデの詩。】
61:2 神よ、わたしの叫びを聞き
わたしの祈りに耳を傾けてください。
61:3 心が挫けるとき
地の果てからあなたを呼びます。
高くそびえる岩山の上に
わたしを導いてください。
61:4 あなたは常にわたしの避けどころ
敵に対する力強い塔となってくださいます。
61:5 あなたの幕屋にわたしはとこしえに宿り
あなたの翼を避けどころとして隠れます。〔セラ

61:6 神よ、あなたは必ずわたしの誓願を聞き取り
御名を畏れる人に
継ぐべきものをお与えになります。
61:7 王の日々になお日々を加え
その年月を代々に永らえさせてください。
61:8 王が神の前にあってとこしえの王座につき
慈しみとまことに守られますように。
61:9 わたしは永遠にあなたの御名をほめ歌い
日ごとに満願の献げ物をささげます。

  

祈り)天の神様、私たち全ての一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。

新しい目覚めや命が与えられていることを神様あなたに感謝できる喜びを今、噛み締めています。当たり前だと思っていたことができなくなるとうろたえてしまう私たちですが、神様あなたからのめぐみは私たち一人一人に十分に与えられています。神様あなたへ感謝できる心の落ち着きを与えて下さい。

これから語られますみ言、この語る者を通して、ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。アーメン

 

おはようございます。皆さんは祈る時,何を誰に向かって祈りますか。神様に向かって願う、それが祈りのかたちなのでしょうか。願い事や恨み言,不満や悲しみ。全部自分のためだけでしょうか。世界の難民のために、自然災害に遭われ大変な思いをされている方々のためにというように様々です。

最近では台風の被害をお受けになったフィリピンの方々のために祈られている方も少なくないと思います。これらの祈りは天地創造をされた神様に捧げられます。

それなら神様を知らない人や聖書を読んだことがない人々は祈ることもできないのでしょうか。

今朝ご一緒にお読みしました聖書の箇所「詩編61編」において、詩人は自分だけの深い悩みを救ってくださいと祈ると同時にこの世における王の心も、神様あなたを仰ぎますようにとも詩っています。

私たちが誰に祈れば良いのかと迷ったときも、祈る言葉さえも出ないような苦しみや悲しみの中にあるときでさえも、とりなしの祈りが一人一人を支えていてくれます。

誰よりも近くにおられるイエス様が私たち一人一人のためにとりなしの祈りを捧げて下さっています。