
トラブルに遭った時の聖書~本当に因果応報?~
私たちは何か悪い事をしたからこんな目に遭うんだと、何か理由がなければこんなことが起こるはずはないと思い、自分に起こっている不幸に感じる出来事の理由を探そうとします。因果応報という言葉で解決しなければいけないように思っている人が多いのです。
【さあなの部屋】から「こんな時に読みたい聖書のことば」を選びました。
「神様のことば」があなたに寄り添います。
私たちは何か悪い事をしたからこんな目に遭うんだと、何か理由がなければこんなことが起こるはずはないと思い、自分に起こっている不幸に感じる出来事の理由を探そうとします。因果応報という言葉で解決しなければいけないように思っている人が多いのです。
「自分はたった一人で生きてきた」とおっしゃる方はおられますか?ほとんどのことをご自分で決断し、なるべく人に迷惑をかけないように生きてこられた方がおられたとしても、神様が関わってこられなかった方は一人もおりません。たとえ、自分が独りぼっちで泣いていると思っておられたとしても、一人悩んでいたと思った...
「すべてのことを、私は一人で乗り越えてきたんだ」と思われている方は少なくないかもしれません。逆に「なんで今、自分は無事でいられるのだろうか」と不思議に思う方もおられるでしょう。今、ご一緒にお読みいたしました聖書の箇所は「共におられる神様」について、力強く私たちに詩(うた)っています。
「あれ、今私こんな気持ちでいたんだ」と気づかされる時ありませんか?そのような時や「こんな気持ちを抱いてもいいのかな?」という時があったり。でも、聖書の言葉は飾りません。そして、私たちが読んでいる詩編はほとんどが祈りの言葉です。
ヨハネによる福音書の1章1節は「初めに言(ことば)があった」と始まります。イエス様が語りかけられるみ言は、聖書を読んでいる私たち一人一人に今も語りかけられています。私たち一人一人は今どこで生きているでしょうか。私たち一人一人の命はどこで誰が造ったのでしょうか。
おはようございます。ひそかにイエス様に終わりの時の徴について聞く弟子たちに「私はあなた方一人一人と共にいて、全てを与えているじゃないか、まだわかってくれないのか。」とイエス様は言われません。ただ、「人に惑わされないように気を付
「ばっかじゃない。この人こんなに何回も使用人にひどい目にあっているのに」と思われる方も少なくないと思います。実際この聖書の箇所を読んだとき私も思いました。
「どうして私なんかのために」「私なんかそんな価値はありません」「私はあなたを知りません」そのような声が聞こえてきそうな気がします。
「○○お帰り」と言われる時に私たちはどんな気持ちになるでしょうか?ホッと安心したり。「私なんかでも待っていてくれたんだ、ありがとう。」って思ったり。なんかそれは当たり前のことに思えたり。でも、あなたの帰る場所は、あなたを待ってくれている方がおられるところにしかありません。待ってくれていると信じるか...
ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「マタイ6:8」においてイエス様は言われます。「あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存知なのだ」と。「なーんだ、さすが神様じゃん。私が祈る前からわかって下さっているんじゃないか。じゃあ、祈らなくてもいいんじゃないの?」と考えてしまう人も少なくな...