罪悪感を感じる時の聖書 ~神様はケチじゃない~

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詩編51:3-4

51:3 神よ、わたしを憐れんでください
御慈しみをもって。
深い御憐れみをもって
背きの罪をぬぐってください。
51:4 わたしの咎をことごとく洗い
罪から清めてください
  
祈り)天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。

私たち一人一人の命はどこから来たのでしょうか?私たち人間はロボットや機械や物とは違います。いくら作者が精魂込めて作ったとしても、それは「命がこもっているようだ」と表現されたとしても、本当に命は宿っておりません。

私たち人間一人一人は、神様あなたに命を与えられ生かされています。同じようにではなく一人一人が違うそれぞれの人生を歩みます。人と比べるのではなくて一人一人がかけがえのない存在であることを思い起こして感謝して歩めますように。

これから語られますみ言、この語る者を通してここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。アーメン

 

おはようございます。日本では八百万(やおよろず)の神としていろんな所に神様がおられるとの習慣が昔からあります。物や自然を敬い大切にするということは、どうでもいいことではなく私たち人間には必要なことです。ただ、物や自然を敬うということと、それら全てを造られた神に祈るということは違います。

私たちは祈るとき、誰に向かって祈るのでしょうか。自分の願いや悔い改めのときの祈りと、自分以外の人のために祈る相手は違うという方はおられるでしょうか。また、「憐れんで下さい」と祈らなければ神様は私やあなたを憐れんでくださらないのでしょうか。罪をぬぐって下さらないのでしょうか。

神様はそのようにケチではありませんし、鈍感でもありません。ただ一つであり真実な神様はあなたが心を向けて祈る前からあなたを憐れみ、あなたを罪からぬぐって下さっています。ただ、あなたが心を神様に向けないと、神様から憐れみを受けて、罪をぬぐっていただいていることさえ気付かないのです。

神様が人間にケチでも鈍感でもないように、私たちも神様へ出し惜しみなく素直でありたいと思います。

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