油注がれた者|英国国王の戴冠式から

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先週、5年振りに開催された全国総会の一部を記したが、その総会の最後「常議員就任式」が行われた。今後2年間教会の舵取りを担う牧師・信徒16名が、常議員に正式に就任したことを示す式だが、大切なことは責務を担う事への誓約と神様からの祝福を与えられるということにある。祝福をいただき、祝福を携えて「日本福音ルーテル教会」という舟の舵取りを担うのが常議員の務めということであり、就任式を見届けた私たちもまた、彼らへの協力と神の導きがあるようにと祈りを合わせた時であった。

総会が閉会した翌日、英国国王の戴冠式の模様が放送されていた。正直に言うと余り興味はなかったのだが、70年振り(私が生まれる2年前)に行われるということもあり、いくつかの報道を見てみた。即位した国王を承認し、国王が誓いを述べた後、聖別されるのだが、その様子は4枚の帳(とばり)で隠されていた。聖別は油を塗って行われるのだが、油は神の霊の象徴であり、物品に注がれればその物品は聖別され神のために用いられる物となり、人に注がれれば聖別され神に献身する者となることを意味している。かつて人々が熱望して王となったイスラエルの初代王サウル(サムエル記10:1)は、「油を注がれる」ことで神によって王と認められ、その後の王たちも王になる際に同様に行われたことから、「王=油注がれた者」と呼ばれた。既に2022年9月に王位に即位しておられたが、今回の「戴冠式」においてなされた「聖別」によって、「神に選ばれ、神に仕える者」と宣言されたと理解できる。

その後に王が冠をいただくのだが、直前に大主教が冠を祝福しておられた。3月末のこのエッセイに、祝福のことを記し最後に祝福の言葉を記しておいた。「アロンの祝福」と言われているもので、モーセの3才上の兄であり祭司であったアロンに、神がイスラエルの人々を祝福する言葉として告げるようにとモーセを通して与えられたものである。大主教の行為を見ながら、「王冠」は権威の象徴ではなく、「神の祝福の徴」であることを教えてくれていた。神の祝福とは王冠のように何物にも代えがたい素晴らしいものなのだと、国王がただ一度だけ被る王冠を見ながら、私たちも毎週その王冠のように素晴らしい祝福を頂いているのだと思うと、改めて神の祝福を大切に受け止めねばと心に刻むと同時に、王冠のように素晴らしい神の祝福を心を込めて皆様に届けたい!

ちなみに、「キリスト」という呼称はヘブライ語の「メシア」であり、「油注がれた者」という意味であるが、英国国王とは異なることは言うまでもない。

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