ペンギン歩き

image_pdfPDFに変換するimage_printプリントする

(74)

飯田教会で4日間の奉仕の最後は幼稚園園児礼拝の説教。礼拝が終わった会堂に4歳の子が部屋に戻らず壁際に座り込んでいた。少し気分を変えさせてあげようと、「牧師先生が連れてってあげる。抱っこが良い?オンブ?それとも肩車?」。すると「ペンギン歩き」と私を見上げながら返事をくれたが、「???」の私。取りあえずペンギンに似せるため両腕の肘から先を横に広げヨチヨチ歩いてみようとした時、その子が私の前に背中を向けて近づいてきた。そして私の両足のスリッパの上にその子がシューズのまま足を乗せた。その瞬間、私の右足の親指に激しい痛みが・・・。

実は、その2日前、飯田市近郊の渓谷の由緒あるホテルに部屋を取っていただいたが、浴室入口は敷居だけが一段高くなっており、気付かなかった私は、勢いよく右足親指をぶつけ爪が浮いてしまったのだ。激しい痛みと止まらない血でしばらく動けなかった。徐々に痛みは引いていたものの、触ると痛みがぶり返す状態だった。まして上から押しつけるなんてもっての外!そんな状態を隠していたので、元気よく乗せられた足で痛みが走ったという訳だ。足指の事情を知っていた園長先生は気の毒そうな顔をして私を見ておられたが、折角戻ろうとする子のために、ここは大人の対応を!何とか無事に部屋まで送り届けたが、「まるで痛めたことを知ってたみたい」と同情しつつも笑いをこらえた園長先生に声を掛けられる始末。あの子は知らなかっただろうけど、「試練とはこういうものだ」と自らを慰めるしかなかった私であった。

礼拝中、何があったのかは気付かなかったが、皆と同じようにさせられることが嫌になり、「構って欲しい」気分が溢れてしまったのではなかろうか。痛みをこらえてその子を部屋まで連れて行きながら、ペンギン歩きは「連れていってもらうのだけど、自分もちゃんとやるべきことをしている」という心の顕(あらわ)れのようでもあった。寄り添ってくださる神様だけど、実はペンギン歩きのように寄り添っていてくださるのかもしれない。もちろん上に乗っているのが私たちであり、私たちの傷みをご自身の足で受け止め、私たちの行きたい方に運んでくださっているのだと、その子を降ろし親指の傷みが引くのを待ちながら思えたし、それもまた4日間の奉仕のご褒美であったのかもしれない。毎週礼拝にいくK保育園でも、すねてる子どもに関わる機会があったなら、「ペンギン歩きする?」と声を掛けてみようかな。

お土産にいただいた沢山の野菜の匂いが充満する車を走らせて無事に帰宅。神様にそして留守を守ってくださった皆様に感謝であった。

関連記事