クリスマスの余韻|新しい年を乗り越える力を得るために

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25日の降誕日の礼拝が終わると、ツリー等は飾ったままであってもクリスマスの余韻に浸ることもなく気持ちは一気に新年へ。これが毎年のことであったが、日曜日に降誕日礼拝を守って二日後、K保育園年長児クリスマス会が行われた。例年市川教会会堂でクリスマスイブの一週間前に行われてきたが、コロナ感染症の影響で降誕日前に行えず、保育園での開催とせざるを得なかったからだ。という訳で、「クリスマスのモチベーションを保持したまま迎えなければ」と、23年目にして初めての「降誕日後のクリスマス会」を子どもたちや保護者と園舎で過ごした。

リハーサルの時に見た今年の年長児の降誕劇は、個性ある子どもたちが多かったクラスにもかかわらずこれまで以上にまとまっていたように思えた。さて本番はどうかと思っていたが、保護者の前のためか多少の緊張感が窺(うかが)えたものの、リハーサル同様に演じてくれて嬉しかった。そんな子どもたちにとっては、サンタさんのプレゼントをもらったとしても、12月25日を過ぎていたとしても、降誕劇をやり遂げるまではクリスマスが続いていたのだ。

クリスマスの様々な装飾は、顕現日(1月6日)に取り外す。だから正月であってもツリーやリースは飾ったままだ。決して怠けている訳ではない・・・と言い訳してしまうのは、気持ちの上では12月25日でクリスマスを終えてしまっているからだ。「顕現日までクリスマスがある」というのは、降誕日を過ぎてもクリスマスがもたらす余韻を心にしっかりと刻む時として備えられているのではないだろうか。そこで刻まれた余韻が、新しい年を乗り越える力になる、降誕日から顕現日の二週間が設けられている意味もそこにあるのではないかと、降誕日二日後のクリスマス会を子どもたちと過ごしながら思えた時であった。

「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」(ルカ24:32)エマオ途上で現れたイエスに気付かなかった二人の弟子だったが、その人がパンを割いて渡してくださった時に彼らが語った言葉である。イエスに出会い触れた余韻が、聖書を語ってくださった時に彼らの心を燃えさせたのである。降誕日で終わるのでなく、もうしばらく余韻に浸りクリスマスの恵みを深く刻むことで、「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れの道をも備えていてくださいます」(1コリント10:13)との聖書の約束がきっと実現するはずだ。今年も宜しく!

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