神様への贈り物|賛美はありがとうの気持ち

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会堂に子どもたちの歌声が響き渡る。その歌声が明るく聞こえるのは、50数名の園児たちが「個人の判断」となったマスクを外し、笑顔で歌ってくれているからでもある。

月に一回、年長・年中組の子どもたちは礼拝を教会で守るために、1km程離れている保育園から江戸川の土手沿いに歩いてくる。コロナ禍になってからは中止されていたが、昨年あたりから教会礼拝を時折守れるようになった、ただしマスクを外すことはなかったが・・・。明るく元気に、そしてキラキラと輝く顔で歌ってくれる子どもたちの姿に、得も言われぬ喜びがこみあげてくる。そんな子どもたちの明るい声に気付いた園長先生が、背後からビデオ撮影。私は正面から撮ってあげればよいのにと思いつつ礼拝を進めていたが、讃美歌の二曲目を歌う時、園長先生も気付いたのか子どもたちを正面から撮影。あの映像には、20年間も見続けていたのに気付かなかった「普通の姿の有難さ」が記録されていることだろう。涙がこぼれてきそうな程に嬉しかった教会での礼拝であった。

イスラエルの民はダビデの時代に神殿が建てられ礼拝も整えられた。詩編をみると「ラッパ、シンバル、十弦の琴、角笛」等の楽器があり、歴代誌上には「四千人は、ダビデが賛美するために作った楽器を奏でて、主を賛美する者になった」(23:5)とあるように、多くの奏楽者がいた。更には聖歌隊も組織され、「主に向かって歌をうたうための訓練を受け、(中略)彼らの数は288人であった」(25:7)と記されている。数年間の訓練を行った専属の賛美者たちがいたということである。神学校最終学年にご指導いただいた故T牧師が「聖書は神様からの贈り物、讃美歌は私たちから神様への贈り物」と語ってくださったことを思い出す。ダビデ、ソロモン、そしてイスラエルの苦難の時代にも賛美するという行為を通して、彼らは神の偉大さを鳴り響く音楽として表現しつつ、同時に神への感謝として賛美を続けていたのではなかろうか。

コロナ禍の困難の中でも私たちの教会は讃美歌を歌い続けてきた。日常が失われ見えない恐怖に脅え、立ちすくみそうになる時に必要なことは、抗(あらが)う力よりも支えてくださる方を覚えて感謝することだと信じてきたからだ。だからこそ神様への贈り物、「讃美歌を歌う」ことを、マスク着用ではあったが続けてきた。良かったのかどうか、今も答えは私にはない。

園児たちは帰路にも笑顔で「ひかり ひかり わたくしたちは♪」と歌ったかなと想像して、ほっこりとさせてもらった一日であった。

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