タイカン

image_pdfPDFに変換するimage_printプリントする

(68)

「タイカンが鍛えられたのだと思う」と、パラリンピックで主将を務めているMさんは、競技後のインタビューに応えていた。昨年夏のパラリンピックに出場するために行った練習によって「タイカン」が鍛えられ、好成績に繋がったということらしい。最近よく聞く「タイカン」。「体幹」と書くことは知っていたけれども、バランスボールや片足立ちなどの練習風景が映し出されたりしているのを良く観ていたので、私は勝手に体のバランス感覚を鍛えることだと思い込み、「体幹」というよりも「体感」と理解していたかもしれない。運動といえるようなことは殆どしていないので、「体幹」のことを深く考えることはなかったが、Mさんの言葉に刺激されて、私も少し「体幹」を鍛えなければと思うのだが・・・。

「元々体幹とはその文字が示す通り、体の幹ということです。体の幹ですから、いわば胴体の部分をさします。(中略)手、足、頭など胴体から繋がっている部分を機能的に活かすためにはこの胴体部分が重要であるということから、体幹が注目されはじめました。この場合の体幹とは胴体部分のことですから、具体的には胸、背中、腰回り、腹筋、お尻はすべて体幹の構成要素ということになります。もう少し詳細に説明する場合、『腹腔』というお腹の内臓が詰まった部分を囲んでいる部分です。」(HP:POWER PRODUCTION)つまり、広義には「胴体全部」、狭義には「お腹周りの体の内側」ということになるらしい。腕であったり足であったりと、体の一部分を鍛えがちであるが、それを支えている胴体という「幹」を鍛えることによって、身体の各部分が活かされるということにほかならない。

「祈りはキリスト者にとっての呼吸である」と言われる。だから祈ることは信仰の「幹」だと信じてきた。しかし今、礼拝になかなか集うことが出来ない状況が続いて2年を経過した。集うことを奪われた私たちが気付いたのは、同じ時間を同じ場所で共有すること、すなわち集い・交わりこそが「幹」であったということである。「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(詩編133:1)コロナ禍を経験した私は、この聖句はキリスト者として地上に生きる際の「幹」となるものなのだと捉え直し始めている。

ちなみに、体幹を鍛えるための身近な方法のひとつは「腕立て伏せ」だという。ならばと何年振りかの挑戦。目標は10回、結果は・・・4回。本気で「体幹」を鍛えねば!

関連記事