人恋しい

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ついに「路上飲み」を禁止するための柵が設置され始めたというニュース。それでも「路上飲み」する若者たちは、別の場所を見つけて同じことをするのは目に見えている。ニュースは更に別の場所で歩きながらお酒を飲んでいた女性二人にインタビュー、「路上飲みはダメになったけど、私たちは歩き飲みだから良いでしょう?」と笑いながら応える姿も伝えていた。いやいや、「歩き飲みもダメでしょう」と思わず呟く私。流石の私も気が引ける「歩き飲み」まで登場してしまう、感染が収まるまでこんないたちごっこは続くのだろう。

そこまでしても飲みたいのかと私は思うのだが、きっとそこまでしてでも彼らは飲みたいのだ。飲みたいというよりも、多分、誰かに会うのが目的だから、路上だろうが歩行中だろうが、「飲む」を出汁にするのではなかろうか。要するに、人恋しいのだ。私も若ければ同じだったかもしれない。人恋しくて、誰かに会いたくて仕方なかっただろう。ダメと言われれば、ダメと言われていないことを見つけ出して、人恋しさを埋めようとしたことだろう。だからといって路上飲みを肯定するつもりはないが・・・。

ワクチン接種の予約電話が繋がらない(らしい)。接種を待ち望む人々が如何に大勢いるかが分かる、もちろん、私もそのひとりだが。繋がらない人がいれば、繋がった人もいるはずだ。自粛を強いられ、対話する多くの機会を失った人にとって、繋がったという安堵感が生じ、嬉しくてついあれこれと話しをしたかもしれない、自粛の間の人恋しさを一気に埋めたくて。結局、一人ひとりへの対応に時間がかかり、繋がりにくくなったということもあったのでは。もちろんこれは私の想像に過ぎないが・・・。

「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(創世記2:18)しかし人は獣や鳥の中には助け手を見いだせず、最後に神は彼のあばら骨から女を造って連れて来られた。人はふさわしい助け手を必要とする存在として造られている。ということは、人が人恋しくなるのは必然であって、「人恋しさ」こそ、人間に与えられた素敵な能力なのではなかろうか。

「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るため」(ヨハネ11:50)と言われる神様だが、もしかしたら神様こそが「人恋しい」方なのではなかろうか。人恋しい神様は、コロナ禍の中で労している人々、コロナに感染し苦しんでいる人々にも等しく、「あなたが愛おしい、滅びて欲しくない」と言っておられるように思えてならない。

マスク生活から解放される未来を信じて、もうしばらく「人恋しい」は封印するか!

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