弱さは優しさを引き出す①

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我が家の愛犬は、3月末で16才3ヵ月、人間に換算すれば100才を優に超えた老犬である。最近は後ろ足が弱くなり、自宅から教会の前の道路に出る程度である。ヨタヨタしながら道路に出ては、後ろ足に力が入らないために倒れこむことも多い。そんな状態を見かねた通行中の方が、良く声を掛けてくださる。「いくつですか?」とか「良く頑張ってるね」、「元気でね」と様々である。元気よく歩いていた時には、すれ違うだけだった方とも良く話をするようになった。「人間と一緒ね」と優しくいってくださる老婦人も多い。弱さをさらけ出している老犬の姿が、通りすがりの方々の優しさを引き出してくれているのだろう。

豊橋技術大学の岡田美智男教授は、「弱いロボット」の研究を続けておられる。「自らゴミを拾えない3つのゴミ箱ロボットがヨタヨタと小学校の校庭をさまようと、子どもたちは動きを見守り、ゴミを拾って分別しながら3つのゴミ箱に分けて入れ始めます。教室に『ヘンテコな返答をするロボット』が1台あると、子どもたちはロボットをサポートし始めます。『自分より弱い存在がいる』ことで、子ども自身の自己肯定や自信の形成につながっています。また、他愛のないおしゃべりをするだけの3つのロボットを高齢者施設に置くと、高齢者は自然に会話に参加し、ロボットが困ったら助けたりします。」(豊橋技術科学大学HPより)「弱さ」は他者への関心やいたわりを育てる力があり、ロボットと人間が「弱さ」を共有することで共感性が生まれるということである。

神は人を救うために、「弱さ」を選ばれた。旧約の時代、人々が望んだのは「強い」王であった。民に望まれて初代王となったサウルだが、ダビデが次々と勝利を収めるようになると「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」(サムエル上18:7)とダビデを称えた。その後も人々は「強い」王を望んだ挙句、国は滅んでしまった。だから、神は十字架という究極の弱さによって、人々を救う道をイエスにお与えになった。神と弱さを共有することで私たちも他者に共感し、知らず知らずの内に優しさが生まれるのだろう。弱さを身にして十字架に付けられた主は、私たちの優しさの中に蘇られるはずである。

密を避け、会話を出来るだけ慎む日々を続けて1年、今日も数回我が家の老犬を自宅から教会前まで歩かせる。もしかしたら通りすがりの方の優しさに、私が触れたいのかもしれないと心の片隅で思いながら・・・。

 

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