ちょこっと寄り添う

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「年間10億円以上」、この数字は、コンビニのレジ横に置いてある募金箱の大手3社の総額である。募金は各店舗で月に数回レジに入金し、「募金」として本部に送られ、売上とは別に処理され、自然環境保護、福祉・こども支援、スポーツその他の支援に充てられ、災害時の義援金として用いられることもあるという。寄付をする動機には、①純粋な利他性(相手が喜ぶと自分も喜ぶ)、②自己満足的な喜び、③同調性(他の人に合わせて自分も寄付)、④互恵性(見返りを求めて寄付)などがあるという。動機はともあれ、寄付初心者が気軽に出来るシステムで、新しく寄付する気持ちを呼び込む仕掛けになっているという。だが、最近はコロナ禍により来店者が減り、さらにキャッシュレスの浸透も逆風になり、コンビニ募金も減少気味だという。 (2020.8.20.yahooニュースより)

確かに、釣銭ならと募金箱にコインを入れ、ほんの少し善いことをした気分になるものである。その「ちょこっと」が積もり積もって10億円以上になり、様々な支援に充てられていると聞くと、「次にコンビニに行ったら、募金しよう」と思うものである。決して善人ぶるつもりはないし、自慢しようというのでもなく、少しでもお役に立てるのだと聞けば嬉しい(動機の①)。次にコンビニに行ったなら、「ちょこっと寄り添ってください」、そんな声がコンビニ募金箱から聞こえてきそうな気がする。

重い皮膚の病をイエスに癒してもらった10人の人たち、イエスの傍に呼び寄せられた乳飲み子たち、道端で物乞いしている最中に見えるようにしてもらった盲人、イエスを一晩お泊めした徴税人ザアカイ(以上はルカ17~19章)、彼らはその後、どうしただろう。聖書には何も記されていないので分からないが、ほんの一瞬の出来事が彼らを支えてくれたと想像するに難くない。自らが経験したことを友人知人に話し、多くの人々が伝え聞くことになり、福音書として残されているからである。ずっと傍に居なくても、「ちょこっと寄り添う」だけであっても、人の心の何かを動かしたり支えたりするものだと思う。

私には主イエスのような豊かさ・力はない。だからつい一生懸命寄り添おう、尽くそうとしてしまうけれど、神様は私たちが身を挺して寄り添うことだけを望んでおられるのではない。むしろ「肩肘張らず、一瞬の出会いを大切にし、ちょこっと寄り添ってごらんなさい」と、主イエスの歩みを通しておっしゃっているのかもしれない。

大切なあの人だからこそ、「ちょこっと寄り添って」みようかな!

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