孤独な時の聖書②~ひとりの人などいない~

祈り)天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
私たちの周りの人々や自分が今生きている場所、
出会い一つ一つが与えられていると思わなければ
一つ一つが不思議なものに思われます。
自分が生まれた家族、与えられている友人や仲間、
それら全ての一つ一つは、私やあなたという一人一人に
神様によってふさわしいものを与えられていると
安心して感謝の中を過ごすことができますように、
この奇跡のかたまりのように思える一瞬一瞬を精一杯生かして下さい。

これから語られますみ言葉、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてをお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。

アーメン。

【聖書】使徒言行録9章1〜19a節

すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。(9章15節)

「自分はたった一人で生きてきた」とおっしゃる方はおられますか?ほとんどのことをご自分で決断し、なるべく人に迷惑をかけないように生きてこられた方がおられたとしても、神様が関わってこられなかった方は一人もおりません。たとえ、自分が独りぼっちで泣いていると思っておられたとしても、一人悩んでいたと思ったことがあったとしても、あなたはずっと一人ではありませんでしたし、これからの一瞬一瞬も神様が共におられます。

「なんでこんなにタイミング良くこの人に出会うんだろう」と思われたことはありませんか。今、ご一緒にお読みいたしました聖書の箇所においても、劇的な場面が語られています。しかし、ここに出てくるサウロもアナニヤもこの出会いに戸惑いうろたえます。特にアナニヤは自分たちキリスト者の迫害者であったサウロを受け入れることができません。

「この道」と聖書で表現されている言葉は、主イエスを信じる道のこと、キリスト教のことを指しています。自分たちを迫害している人など信用できないとアナニヤは神様を否定するのではなく、「私が用いるのだ」という神様の言葉に従います。

私たちも自分の思いだけにではなく、神様に従う者でありたいです。神様は必ず一人ひとりに必要なものを与えて下さいます。

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