あなたのふさわしいときに

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エフェソ2:14-18
2:14 実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、 2:15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、 2:16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。 2:17 キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。 2:18 それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。
祈り)
天の神様、新しい目覚めを与えて下さりありがとうございます。
神様に与えられるもの、それは思いつくすべてのものなのではないでしょうか。
自然や空気、命、水。それらの一つひとつの結晶が私たち人間に与えられている人生一つひとつであるような気がします。
ダイナミックな大自然から一つひとつの命まで神様あなたの業は数えきれません。
自分たちが理解できて数えきれる世界しか信じられない、
ちっぽけな私たちでさえあなたは大切にして下さいます。
そのようなあなたに少しでも多くの感謝をできる私たちでありますように。
これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。

キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。(エフェソ2:17) 

「二つのものを一つにする」って簡単に言いますが、実は難しいことです。多数決で意見が多かった方に少数派が屈するとか、強い勢力に吸収合併されてしまって二つのものが一つになるのとは違います。その方法だときっと少なかったり弱い方に我慢や悲しみや、目には見えないたくさんのストレスを与えることになるでしょう。それらのストレスが目に見えるかたちになったとき、私たちの予想を超えた大きなかたちになって現れることもあるかもしれません。

 しかしイエス様は違いましたイエス様は和解を持って二つのものを一つにされました。誰も我慢や悲しい思いはしません。 ここで言われている「二つのもの」とは「霊なるものと肉なるもの」です。分かりやすく言えば「見えるものと見えないもの」とでも言うのでしょうか。

イエス様は神様と人間の架け橋です。私たちはイエス様が語られる言葉によって、神様のみ心にふれ神様の存在を知ります。私たちが神様に語りかけ祈るときは、必ずイエス様のお名前を通します。それならイエス様はどのようにして私たちと神様に「和解」をお与えになられたのか、それは今ご一緒にお読みいたしました聖書の箇所に書かれております通り、イエス様は神様と私たちの「和解」のために十字架に掛かられました。
「死刑にされるのがどうして」と思うかもしれません。しかし「どうして死刑に、しかも十字架刑に」。そしてどうして復活されたのか。肉なるものにとっては「死」は終わりです。しかし、霊なるものにとっては「死」は終わりではありません。
私たちはイエス様に出会い、一人ひとりそれぞれのペースでイエス様に心を開いたり閉じたりしています。一度に理解しようとしたり解ろうとしなくても、いつも共にいて下さるイエス様があなたにふさわしいときに和解を与えて下さいます。そして一人ひとりにささやかれます。「あなたは私と新しい命に生きている」と。

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