初めからあなたと一緒
祈り)
天の神様、新しい朝、そして新しい目覚めをありがとうございます。
だんだん季節も変わってきました。朝、布団から出る勇気が必要なときもあったり、布団の中が暑くて飛び起きる時もあります。
また、私たちはいろいろな新しい出来事に出合ったり、初めての人に出会ったり、小さな勇気を必要としたり、
だいぶ思い切った勇気を必要とすることがあります。
しかし、その一つ一つの出会いは神様あなたから与えられる一人ひとりへの恵みです。
たじろぐこともあるでしょう。
それでも神様、あなたからの恵みを受け取る勇気を与えて下さい。
これから語られますみことば、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエス・キリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン。
【参照聖書箇所:ヨハネによる福音書1章14〜18節】
言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(14節)
今、ご一緒にお読み頂いた聖書の箇所の中で「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエスキリストを通して現れた。」と語られています。「律法」は人間に与えられ、人間一人一人に同じ文、同じ形で与えられております。それこそ偉い律法の学者の説明や解釈が文字通り守られて何年経ってもその意味は変わることがありません。守れる立場も、守れない立場の方があっても、おかまいなしで規則は規則になってしまいました。
しかし、律法も神様から頂いた大切な恵みであることを忘れないようにと、律法を含めた恵みと真理は、イエス様を通して一人一人へと現されています。
人間一人一人置かれた場所というか、環境も違えば時代や国も違います。だから律法という規則は守れない人もおられるかもしれませんが、神様から与えられる真理を守ることはできます。律法として与えられている生きた恵みは、今も生きて働かれている主イエスを通して一人一人に与えられています。律法は古くさい難しい規則では留まらず、今も生きて真理の恵みとして私たち一人一人に語られています。





 
								 
								 
								 
								 
								 
								