わたしと共に歩みましょう

祈り)
天の神様、私たち一人一人にそれぞれ新しい目覚めをありがとうございます。
他の人はどのような目覚めを与えられているのだろうか?私は変な目覚め方をしていないだろうか?と気になったり、比べてみたり。
でも神様あなたは「わたしからの恵みはあなたに十分与えているから安心しなさい。」といつもやさしくささやいて下さっています。
神様あなたから与えられている十分な恵みの中を安心して歩む私でありますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して、ここにおられるお一人お一人へと、
そしてそれぞれの心にある方々お一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
神様あなたにすべてをお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン

【参照聖書箇所:マタイによる福音書10章5節〜15節】
イエスはこの十二人を派遣するにあたり、次のように命じられた。「異邦人の道に行ってはならない。また、サマリア人の町に入ってはならない。(5節)

イエス様が弟子たちへと語られていることは、今、聖書を読んでいる私たち一人一人にも語られています。「〜してはならない」禁止事項ばかりで堅苦しく感じてしまうようにも読めます。「イエス様はやっぱり厳しいときもあるのかな」っと少しがっかりするような。「いやいや、弟子たちを派遣されるのだからこのくらい厳しくなければ」と思って読んでみたり。

でも、聖書は厳しい規則が記されている書物でも、神様からの厳しい戒めだけが書かれている本でもありません。では私たちは何を通してこの聖書という書物を読めばいいのでしょうか?それは「神様から与えられている愛」です。神様があなたを大切にされておられるという確かな愛です。聖書は私たち一人一人に与えられる神様からのラブレターです。

イエス様から派遣された弟子たち一人一人は「神様から派遣された私には何でもできる。すべての人に私は恵みを与えられる。」と気負っていたかもしれません。そのような弟子たちにイエス様は「あなたはあなたのできる範囲で働けばいいのです。いつも私が共にいます。」と言っておられます。イエス様が「あなたたちは所詮、人間なんですから自分を過大評価しないで下さい。」と言われるのではなく「そのままのあなたが私に必要なんです。私と共に歩みましょう。」と私たちを信じて誘って下さいます。

今、私たち一人一人はイエス様に派遣されます。神様から信じて愛されている今のあなたがイエス様と共に歩む命の道へ派遣されるのです。

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