神様と共に
祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
温度の変化が激しい季節の中、自然や自分を取り巻くたくさんの変化を私たちは受け止めてます。
変化の中を生きている自分が、自分で予想もできなかった変化に出会うとき、
私たちは戸惑い悩んだりします。しかし、その中にあっても変わることのない、
神様、あなたからの愛が、私たち一人一人を包んで下さっていることを思い起こして生きることができますように、
日々の糧と毎日の心の落ち着きを神様あなたがお支え下さい。
これから語られますみことば、この語る者を通して、
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。
【参照聖書箇所:詩編60編1〜14節】
どうか我らを助け、敵からお救いください。人間の与える救いはむなしいものです。(13節)
「…どうか我らを立ち帰らせてください。」と詩人は詩(うた)いはじめます。あなたにとって帰るところはどこですか?と聞かれて、皆さんはどこを思い浮かべるでしょうか?昔の事を思い出して、自分の育ったふるさとを思い浮かべる方もおられるでしょう。また、今住まわれている施設の、
自分の部屋を思い浮かべる人もおられるかもしれません。誰かが「お帰り」と言葉をかけてくれるところ、それが自分の帰る場所なんじゃないかなと思います。
昔、お母さんが自分の家で私を帰るのを迎えてくれたな、と思い出す人もおられるでしょう。個人的なことを言うと、私は物心がついた頃から両親が働いていたので、いわゆる鍵っ子。帰っても誰も待っててくれている人がいなくて、たまに自分で「お帰り」と自分に言ってあげることがありました。でも、たとえ私たちの意識の中にないとしても、全ての一人一人に帰る場所はあります。たとえ一人一人が思い出してくれなくても待ってて下さる方がおられます。その方は全ての一人一人に「お帰り」と言って下さいます。私たちが帰る場所、それは神様の御もとだからです。帰る場所があるとき、人は出発できます。歩き出す勇気が与えられます。「どうか我らを立ち帰らせてください。」と詩人は祈ります。
あなたには帰る場所があります。それは神様のもとです。神様がいつでも「お帰り」とあなたを抱きしめて下さいます。