沈黙とは~ピアノ教室の思い出~

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祈り)天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
私たちはあなたから与えられるたくさんの出会いの中で生かされています。
その時の気持ちによって素敵な空に見えたり、新しい自分を発見したり。
一つ一つが神様、あなたから私たち一人ひとりに与えられる、かけがえのないものであることを感謝できますように。

これから語られますみ言葉、この語る者を通してここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてをお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。

アーメン。

【聖書】詩編37編7〜22節

沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。
繁栄の道を行く者や
悪だくみをする者のことでいら立つな。

ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「詩編37:7」において詩人はこのように語ります。「沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。」と。「沈黙して」と言われても何だかピンと来ないし、それは時と場合によるのではないかと思うのではないでしょうか?でも心を主に向けていたいし、どうすればと思う方も少なくないと思います。「沈黙する」とはどういうことなのでしょうか。

最近、過呼吸という症状を起こす方が多いと聞いたことがあります。息を吐くのを忘れて息を吸ってばかりいると過呼吸を起こすのだそうです。私は幼い頃ピアノを習っていました。焦ると一拍休むところを半拍で進んでしまうらしく、ピアノの先生によく「一だけではなく一とう二とうと数えなさい」と言われたことを思い出します。
一だけでは息を吸うだけです。しかし、「とう」を入れると息を吸って吐くことができます。過呼吸も吐く事を忘れ吸い続けた結果です。息を吐く時は落ち着きを必要とし、時にはゆっくりした時間も必要になります。逆に長く声を出そうとしたら深く大きく息を吸い込みます。

「沈黙する」とは息を吐いて空っぽの自分にするということではないでしょうか。空っぽの心をただ神様に向ける。そうすれば神様から与えられるすべてのものが、あなたの体中に染みわたりあふれ出ます。そして、あなたからあふれ出たすべてのものを神様が用いて下さいます。

「主を待ち焦がれよ。」と詩人は語りますが心配はいりません。あなたが神様を待ち焦がれるよりずっと、何倍もの大きさで神様があなたを待ち焦がれて待っています。そのことに私たちはただ信頼すればいいのです。

 

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