心にワクチン

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「幸せになることがテロへの抵抗。」ニューヨークのビル爆破、いわゆる「9.11.テロ」で犠牲になった日本人Sさんのお連れ合いは、お腹に第3子がいて遺族となった。「テロへの憎しみではなく、幸せを感じる心を育ててきた」と当時を振り返りつつ語り、子育てが一段落した今、冒頭のようなお気持ちであることを語っておられた。(毎日新聞9月10日記事等より))北風ではなく太陽で心を保っていく道を選ばれたということであろうか。コロナ禍でストレスが溜まり、「中等症以下は自宅療養(換言すれば入院拒否)」という言葉に不安が煽(あお)られ、心が暗くなりうつむいてしまう日々が多いのだが、こういう時こそ「幸せになろうとすること」で心が励まされ笑顔を取り戻せるのだろう。そのために、笑顔は「心にワクチン」!

「全能と無能の間には、まあまあできる、少しはできるという段階もあって、むしろそれが普通。なのについオール・オア・ナッシングで考えるから、ちょっとできないだけで、もうだめだと自分を見限ってしまうと、(ある)ドイツ文学者は言う。大事なのは、『ひ弱』で『中途半端』であることを知った上で、それをどうマネージするかの技術なのに。」(朝日新聞9月2日「折々のことば」から)今年の春先、ワクチン接種が始まった頃、「接種の予約は取れましたか?」と軽々しく聞いていた私がいた、様々な理由によって接種できない人もいるというのに。知らず知らずの内に、私も「分断を生み出す」思考や生活様式になってしまっていなかったか。見えないウイルス、罹患(りかん)への恐れや恐怖が、「ひ弱で中途半端」を許さない自分になってしまっていなかったか。気付かないうちに私の心も「オール・オア・ナッシング」を当然とするようになっていたのかもしれない。「アディアフォラ(善でもなく、悪でもなく、命じられてもおらず、禁じられてもいない)」というルターの概念こそもう一度思い返し、「心にワクチン」!

イエスの十字架・復活・昇天から半世紀以上たって記されている福音書。それは直接イエスと触れた人々が、あるいはその人々から聞いた人々が、心を動かされて記したものである。復活の主と気付かずに聖書の話を聞いた二人の弟子は、「道で話しておられるとき、(中略)わたしたちの心は燃えていたではないか」(ルカ24:32)と語り合った。「心に(愛という)ワクチン」を彼らは主から接種してもらい福音書が生まれたといえるのではなかろうか。その福音書を通して、私たちの心にも(神の愛の)ワクチン!

笑顔・繋がり・触れ合いというワクチンが、やはり私たちには必要なのだ。

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