安心管理 |私の安心管理は神様にお任せ

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8月19日からブタペストで「世界陸上競技選手権大会」が始まる。この大会の20㎞競歩で3連覇を狙う山西選手自身のトレーニングでは、徹底してデータを活用し、それは練習だけでなく日常生活の過ごし方にまで及んでいることが紹介された。そのことについて彼自身は「危機管理と安心管理のため」と語っていた(8.19.TBSテレビ「Nスタ」より) 。ベストな状態で大会に臨むために肉体的を日頃から整え、不測の事態に遭遇しても対応できるようにするという意味での「危機管理」と思う一方、「安心管理」とは一体どんなことを意味するのだろうか。ネットで検索してみると、マンション等で「安全に住んでいただくため」だとか、「子どもを有害なサイトからを守る」等に「安心管理」という言葉が記されていた。要するに、対象者が安心して過ごせるように第三者が管理するというような意味だと受け取れるが、山西選手は「データが自分に安心をくれている」という意味合いで用いておられたのだろう。数値化されたデータは動かすことのできないからこそ「危機管理と安心管理」になるのだろう。

「危機管理」で思い起こすのが、士師ギデオンの戦いである。紀元前1000年頃に初代王サウルが即位するが、それ以前のほぼ200年間、民の指導者であったのが士師たちであり、その一人がギデオンであった。彼の時代、国を脅かしていたのはミディアン人であった。士師として召された彼が全国に呼び掛けると、13万5千人のミディアン軍と戦うために3万2千人が集まった。しかし神は「多過ぎる、戦う意志の無い者は帰れ」と言われると2万2千人がそこを離れた。それでも多いと言われ、水辺で両手で水をすくって飲んだ者も帰すと、残ったのは僅か300人であった。神が兵を少なくしたのは、自分たちの手で戦いに勝ったと言わないようにするためであり、信仰共同体に対する神の「危機管理」であった。(士師記6~7章)一方、民を率いたギデオンは神による兵士削減をどのように見ていただろうか。敵の大軍に対して10分の1以下しか集まっていないのに3分の2が減り、最後は400分の1以下の人数。もはや自分たちの力に頼る勝利は不可能であることを悟ったことだろう。人的な全てを削がれた彼に遺されたのは「神」であった。いや、「神が居てくださる」ということこそが、イスラエルにとっての「安心管理」に他ならないことを知らされることになった。ちなみに、ミディアン人との戦いは300人が三方に分かれ夜襲をかけ、神の民イスラエルの大勝利という結果であった。

たまに宝くじを買う私。当選金300円しか手に出来ない私に、「例え高額賞金を手にしても、安心はそこには無いゾ!」と神は教えておられるのかもしれない、ハァ!

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