順番は変えられない

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「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)「小さな聖書(福音書)」とルターは書いているが、聖書が何を伝えたいかを一言で言い表すとすれば、この聖句に尽きるであろう。先ず神が私たちを愛してくださったということが強調されている。神から世(人)への愛が第一であり、私たちが神様に何かしてあげたから神も私たちを愛してくださったのではない。神から世(人)へ、この順番は変えられない。

「ひかり ひかり わたくしたちはひかりのこども ひかりのように・・・」、子どもたちの元気な歌声が部屋中に響く。私がチャプレンとして関わっている二つの保育園では、毎年3月になるとこの賛美歌を歌う。歌詞の冒頭は一緒だが、1番「明るい子ども、いつも明るく歌いましょう」、2番「元気な子ども、いつも元気で遊びましょう」、3番「正しい子ども、いつも正しくはげみましょう」という歌詞である。この讃美歌は「光の子としてあゆみなさい。」(エフェソ5:8)という聖句から生まれたものであろう。「光の子」であるという根拠は、この聖句の前の文章「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。」ということにある。つまり、「私たちが明るく元気にしているから光の子であり、これからも同様に過ごしましょう」というのではなく、悩み・苦しみを抱えた人間のまま(暗闇)で、主を知り受け入れることで「光となっている」ということにほかならない。だから、私を愛してくださっている神を知ることで、私たちの心は明るくなる。明るくなった心は元気になり、神が求めておられる正しいこと(互いに愛し合うこと)をなしていくことが出来る。「ひかりひかり」の賛美歌の順番は、私たちの信仰告白そのものであって、この順番は変えられない。【引用讃美歌「ひかりひかり」YouTubeで検索可。】

「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。」(マルコ16:1~2)彼女たちはそこで空の墓を見つけ、天使からイエスが復活されたと告げられる。教会は週の初めの日、即ち日曜日を「主日」とし、一週間を復活の主がもたらしてくださった恵み・祝福から始めるのである。日曜日は一週間の始まりであって、最後の日ではない。この順番もまた変えられない。

「先ず神に愛されていることを知る」、信仰はいつもここから始まる。信仰が存在する心では、この順番が変わることはない。

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