人の振り見て、わが振り直せ

第四章 自戒するとき

人はだれしも自分自身のなかにあるいやなものを見つめたくはない。同時に、だれひとりとして自分のなかにいやなものをもたない人はいない。自戒するとは、自分のなかのいやなものと正面から向き合うことである。向き合うことによって、いやなものを捨てることが自戒ではない。自分にとっていやなものが果たしてきた意味を知ることであり、そこから新しく生きる自分を学び取ることが自戒である。そのとき、いやなものはただいやなものとしてあるのではなく、新しい自分をつくるためのエネルギーとしてあると受けとめることである。

人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。(マタイによる福音書7章1節 )

【解 釈】 傍目八目(おかめはちもく)という言葉があるように、他人のことはよく分かるものである。ほんの少しの欠点でも目について、なんだかんだと文句を言いたくなる。そのくせ自分のこととなるとさっぱり分からない。イエスは、自分の目のなかにある丸太には気づかないで、兄弟の目にあるおが屑ばかり気がつくのが人間だと言われる。

イエスが人を裁くなと言われるときには、相手はよく見えていても自分自身が見えなくなっているということが意味されている。たしかに他人のことはよく見えているようである。しかし見えているようで、自分の目のなかにある丸太によって、相手を正しく見ることができなくなっている自分自身が見えていない。つまり、自分の勝手な判断で相手を裁いているのである。

場合によっては、言いたくないが、事情が事情だから、やむを得ず相手に忠告しなければならないことだってあるにちがいない。そのようなときには、まず自分自身のことをよく振り返ってみることである。おそらく自分のなかにある丸太に気づくにちがいない。その丸太を取り除いてはじめて、相手に言わねばならぬことを伝える条件が整うのである。

【こころ】 人は他人のこととなればよく分かりますが、自分のことになるといっこうに分からないものです。カウンセリングの世界では、よく自分に気づきなさいと言います。自分のことを知らないで、他人さまの相談に乗れるはずはないからです。しかし、自分自身に気づくのは至難のわざでもあるのです。世界でいちばん分からないものは神さまと自分自身と言いますが、ほんとうに自分自身ほどとらえにくいものはありません。

「君、君、人間というものはだね。けっして人を裁いてはいけない。人を裁くものは、それこそ天に唾をするようなもので自分に返ってくる。君はどうしてそんなに人を裁くのかね。ほんとうに困った奴だ。君のような人間はほんとうにだめなんだ」

「他人さまには優しくしないといけないのよ。あなたはどうして人に優しくないの。 だめじゃないの。そんな態度では、私はけっして許しませんよ」

人に裁くなと言いながら、気づかずに人を裁いている自分がいます。優しくなければと言いながら、ご本人は少しも優しくないことに気づいていないのです。これに似通ったことをどれほど日常の生活で繰り返していることでしょうか。まさしく「人の振り見て、わが振り直せ」とは自分自身のことです。

 

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