あなたのために神様は今、来られます
マリアは言います。『私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』ルカ1:38 これは「神様、私はあなたに仕えています。(信じています。)あなたが用いて下さることを信じて私の全てをお委ね致します。」と言うことで決して「神様、勝手にして下さい。」と自分を投げ出してしまうこととは違います。
マリアは言います。『私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』ルカ1:38 これは「神様、私はあなたに仕えています。(信じています。)あなたが用いて下さることを信じて私の全てをお委ね致します。」と言うことで決して「神様、勝手にして下さい。」と自分を投げ出してしまうこととは違います。
おはようございます。ある日の夜中、病室の向かいのベッドのカーテンの向こうで看護師さんに訴えている声が聴こえてきました。「こんな痛い思いをするのなら殺して」 そのような時、苦しみのただ中におられる人に「神様に祈りなさい。」なんて言えるでしょうか。私はただ黙って、その人のために祈るしかできませんでし...
あなたは何度イエス様と出会いましたか?今日与えられました聖書の箇所「ヨハネ21:14」で、「イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である」と語られます。
ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「マルコ15:39」で、「本当にこの人は神の子だった」と百人隊長と呼ばれる人の言葉として語られます。 聖書から聴くあなたには、今、どのように語られていますか。
ヨハネによる福音書の1章1節は「初めに言(ことば)があった」と始まります。イエス様が語りかけられるみ言は、聖書を読んでいる私たち一人一人に今も語りかけられています。私たち一人一人は今どこで生きているでしょうか。私たち一人一人の命はどこで誰が造ったのでしょうか。
おはようございます。ひそかにイエス様に終わりの時の徴について聞く弟子たちに「私はあなた方一人一人と共にいて、全てを与えているじゃないか、まだわかってくれないのか。」とイエス様は言われません。ただ、「人に惑わされないように気を付
「ばっかじゃない。この人こんなに何回も使用人にひどい目にあっているのに」と思われる方も少なくないと思います。実際この聖書の箇所を読んだとき私も思いました。
「どうして私なんかのために」「私なんかそんな価値はありません」「私はあなたを知りません」そのような声が聞こえてきそうな気がします。
「○○お帰り」と言われる時に私たちはどんな気持ちになるでしょうか?ホッと安心したり。「私なんかでも待っていてくれたんだ、ありがとう。」って思ったり。なんかそれは当たり前のことに思えたり。でも、あなたの帰る場所は、あなたを待ってくれている方がおられるところにしかありません。待ってくれていると信じるか...
お祈りは手紙のようです。宛名がなければ届きません。 たとえ、どんなに心に思っていたとしても、相手にわかる言葉で、自分自身も納得して、自分が手紙を出したい相手の宛名や住所が記されないと、自分の希望する相手には届きません。