わたしを思い出して
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は、「最後の晩餐」と題されていて、 有名な画家の絵の題材にされたりした箇所でもあります。 聖書に書かれている通り、イエス様がいよいよ十字架に掛けられようと、 捕えられる前に最後に行った弟子たちとの夕食の場面です。 これは、今も行われている聖餐式の初まりでもあ...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は、「最後の晩餐」と題されていて、 有名な画家の絵の題材にされたりした箇所でもあります。 聖書に書かれている通り、イエス様がいよいよ十字架に掛けられようと、 捕えられる前に最後に行った弟子たちとの夕食の場面です。 これは、今も行われている聖餐式の初まりでもあ...
私たちはいつも、私たち一人一人のために、 キリストイエスが十字架の苦難の先の、命への道を歩まれておられることを 思い返す日々を共に歩んでます。
皆さんのイエス様のイメージっていったいどんなでしょう。 お一人お一人がお持ちになられているイメージの細かい所は違っていても、 だいたい同じで、穏やかでやさしい方というイメージが大半ではないでしょうか。 ところが今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所においては、 ほとんどの方のイメージとは違って、...
皆さんは「許す」ということの難しさと大切さを感じられたことはあるでしょうか。 「こんちきしょう、おまえなんか死んでしまえ。」と思っていた人が 本当に亡くなってしまったら、言いようもない後悔や後ろめたさが残ってしまう。 そのような思いをされた方もおられるかも知れません。 そのような思いは意識的であ...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所において 「主に結ばれているのならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたは知っているはずです。」15:58 と語られています。 そんなこと知らないよ、と思われる方もおられるかもしれませんが 「主に結ばれていないものはきっと」とは語られておりません。
「二つのものを一つにする」って簡単に言いますが、実は難しいことです。 何か多数決で意見が多かった方に少数派が屈するとか、 強い勢力に吸収合併されてしまって二つのものが一つになるとは違います。 その方法だときっと少なかったり弱い方に、 我慢や悲しみや、目には見えないたくさんのストレスを与えることに...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所には、 イエス様が弟子の一人一人の足を洗う場面が語られており、 それは何のためであるかをイエス様ご自身が語られておられます。 聖書の語られた時代に「足を洗う」行為は、奴隷によって行われている仕事の一つでした。 舗装もされていない道を裸足に近い状態で歩いて旅を...
今、お読みし、み言に聴いた聖書の箇所は、 教会の暦の上では「受苦日」に読まれる聖書の箇所の一つで、 十字架上のイエス様が息をひきとられる日としてその日を覚えます。 一人の人間として生きられた主イエスの「死」を 私たちはみ言によって心に刻みます。 十字架の上で息をひきとられる前の主イエスと、 その...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所に語られているイエス様のお姿は、 いつも聖書に語られている温和でやさしいイエス様のお姿とは全く違い、 激しく怒り悲しむ姿が語られています。 しかし、イエス様は決して感情的なヒステリーを起こして、 周りの人々に当たり散らしたのではありませんでした。
「二つのものを一つにする」って簡単に言いますが、実は難しいことです。何か多数決で意見が多かった方に少数派が屈するとか、強い勢力に吸収合併されてしまって二つのものが一つになるとは違います。