世の光

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マタイ5:13-16
​ 5:13 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。 5:14 あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。 5:15 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。 5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
  

 

祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
目覚めること、それは決して当たり前のことではありません。
目覚めの時は一人一人に与えられ、
その思いは一つではありません。
一人の人にとっても、昨日の目覚めも明日の目覚めも同じような時があったとしても
全く同じであることがないように、
私たちはいろんな感じ方をすることや、いろんな思いを持つことは自由です。

神様、あなたに与えられている今というこの時も、
かけがえのないものとして受け取り、大切に生きる私たちにして下さい。

これから語られますみ言、この語る者を通して、
ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。

アーメン。

 

『あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることはできない。』マタイ5:14

 

おはようございます。
私は何のために生まれてきたのだろうか。
あれもできないし、これもできないし、
なんて思う事はありませんか?
私はあります。私の今かかっている病気は本当にゆっくりですが、
できていたことが、自分の目に見えて少しずつできなくなります。
皆様の目に見えてよくわかることでは、
自分の足で歩くことができづらくなっていることです。
また、字を書くことができづらく、
字が上手い下手のレベルではありません。
数えればきりがありませんし、今の医学ではどうすることもなく、
これからも不便になることがどんどん増えていくでしょう。

よく「。。。ができない」と人間じゃない、
というような言葉を耳にするときがあります。
自分が何でもない時は、あまり気になりませんでしたが、
今はいろんなことができなくなり、考えさせられます。

しょっぱいものに塩という名前をつけたのは人間です。
人間に名前をつけたのは人間です。
しかし、私たちに命を与えて下さっておられるのは神様です。
私たち人間は命を与えられて存在しています。
だから「。。。ができる」から存在しているのではなくて、
存在しているから「。。。できる」のだと思えます。

私は何のために生きているのだろうかと問う前に
「あなたは神様によって命を与えられて今、存在している」という事を思い出して下さい。
私たち一人一人は神様に命を与えられいる限り、
一人一人は永遠に必要とされているのです。

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