かみさまとわたし

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詩編6篇

1.【指揮者によって。伴奏付き。第八調。賛歌。ダビデの詩。】
2.主よ、怒ってわたしを責めないでください/憤って懲らしめないでください。
3.主よ、憐れんでください/わたしは嘆き悲しんでいます。主よ、癒してください、わたしの骨は恐れ
4.わたしの魂は恐れおののいています。主よ、いつまでなのでしょう。
5.主よ、立ち帰り/わたしの魂を助け出してください。あなたの慈しみにふさわしく/わたしを救ってください。
6.死の国へ行けば、だれもあなたの名を唱えず/陰府に入れば/だれもあなたに感謝をささげません。
7.わたしは嘆き疲れました。夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほどです。
8.苦悩にわたしの目は衰えて行き/わたしを苦しめる者のゆえに/老いてしまいました。
9.悪を行う者よ、皆わたしを離れよ。主はわたしの泣く声を聞き
10.主はわたしの嘆きを聞き/主はわたしの祈りを受け入れてくださる。
11.敵は皆、恥に落とされて恐れおののき/たちまち退いて、恥に落とされる。

 

祈り)
天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めを与えて下さりありがとうございます。
私たち一人一人には名前があります。
「あの人」「この人」と言っていた人が親しい関係になると「〇〇さん」になったり。
でも神様にとって、すべての一人一人にははじめから名前があり、
神様にとって私たち一人一人は親しい関係にあります。
だから、神様、あなたは一人一人を魂の名前で呼んで下さいます。
名前を呼ばれる時、一つの無機質な物体から、
温もりのある一つのかけがえのない命にされます。
私たち一人一人、かけがえのない存在として
今、命を与えられ生かされていることを思い起こせますように。

これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人お一人へと、
そしてそれぞれの心にある方々お一人お一人へと
神様、あなたがお語り下さい。
神様あなたにすべてをお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。

アーメン

おはようございます。
『主よいつまでなのでしょう。』と詩編6:4で詩人は祈ります。
祈りというより心の叫びとでもいうのでしょうか。
苦しみや悲しみの中にいるとき、私たちは「これはいつまで続くのだろう」と
不安になる時が多いような気がします。
何が解決になるのか、どうすればここから解放されるのか、
そのようにもどかしく感じる時も多いと思います。
「クリスチャンのくせに」そのような声が聴こえてくるような気がします。
誰から?他の人からも、そして自分自身からも。
もしかしたら自分自身が自分を責める声、それが一番厳しいのかもしれません。
「クリスチャンならこのくらいのこと悲しくない、耐えろ」とか
「クリスチャンなら苦しむな、いつも笑っていろ」なんて。
でも、クリスチャンでも悲しむし、クリスチャンでも笑えないほど苦しいときもあります。
クリスチャンという言葉ではなくても大人なんだからとか、子どもなんだからとか。

しかし、今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所の詩編6:10で詩人は祈ってます。
『主はわたしの祈りを受け入れてくださる。』
主と言うのは神様のことです。
神様はあなたの祈りを受け入れて下さいます。
神様に祈る人がクリスチャンであっても、クリスチャンでない人であっても、
言葉をうまく表現できない人であっても、大人や子どもと呼ばれている人であっても、
その人、一人一人の心が神様へと向けられているのなら
神様はあなたの祈りを受け入れて下さいます。
神様からの心はいつもあなたに向けられているので、
あなたの心が神様に向けられる時はいつでも大丈夫です。
たとえ、あなたの思いが言葉や声にならないような心の呻きであったとしても
神様には聴こえます。
なぜなら、祈りを受け入れて下さる神様は
あなたの一番近くで心を寄せてあなたと共におられるからです。

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