5年振りの全国総会|共に集うことの喜び
いよいよ今週から「新型コロナ5類対応、所謂インフルエンザと同類」となる。その結果、感染者への対応が変わり(療養期間・行動制限などは推奨、医療費の有償化)、緊急事態宣言や飲食店に対する営業時間短縮などの要請も無くなる。
いよいよ今週から「新型コロナ5類対応、所謂インフルエンザと同類」となる。その結果、感染者への対応が変わり(療養期間・行動制限などは推奨、医療費の有償化)、緊急事態宣言や飲食店に対する営業時間短縮などの要請も無くなる。
「やっと目を向けてもらえたなぁ」と思えたのが、「子どもの声」に関するニュースを聞いたからである。「『子どもの声は“騒音”ではない』法律で定めることも視野に政府検討」(4月28日TBSニュース)という報道を聞きながら、その一方で少し物悲しさも感じてはいた。
「これが終われば、またいつもの日常は取り戻せるし、ポリープが悪性化する心配も軽減する」と自らに言い聞かせながら病院に向かった。
4年振りにフルバージョンの祝会を行えた今年のイースター。「祝会のフルバージョン?」と言われそうだが、要するに「あれはダメ、これは難しい」などとは言わず、「行いたいことに制限を付けない」と云う程度のものでしかない。そんな中で準備を始めたのだが、結果は4年前とほぼ同じプログラムに落ち着いた。
イースターが「春分の日の後の満月の次にくる日曜日」と制定されたのは、325年のニケヤ公会議であった。
「父よ、彼らをお赦(ゆる)しください。自分が何をしているのか分からないのです。」(ルカ23:34)十字架上でイエスは七つの言葉を語ったと言われているが、その最初が、今、記した言葉である。
「礼拝開始時刻に間に合わなくても、あるいはもっと遅くなって説教の時間に間に合わなくても、最後の祝福に間に合うようだったら礼拝にいらっしゃい」と私は常々言っている。最後だけ行くのは照れ臭いと思うかもしれないが、最後の祝福こそが最も大きな恵みだからだ。
会堂に子どもたちの歌声が響き渡る。その歌声が明るく聞こえるのは、50数名の園児たちが「個人の判断」となったマスクを外し、笑顔で歌ってくれているからでもある。
安息日に病人を癒(いや)したり、弟子たちが麦の穂を摘んで食べても咎(とが)めないイエスは、律法学者たちにとっては苦々しい存在であった。
それは今年最初のかかりつけ医院での検診の時だった。「検査の結果、便に血が少し見つかったので、大腸と胃の内視鏡検査が必要。K病院に紹介状を書いておくから必ず検査しなさい。」と、お医者さんが「託宣」のように私に。