案外もろい
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「思えば映画館にしろ美術館にしろ、日常から奪われる日が来るとは想像しなかった。文化は案外もろいもので、だからだいじにしなければと気付く。」(朝日新聞6月4日「天声人語」より)これは天声人語氏が、映画俳優吉永小百合さんが公開される映画の舞台挨拶で「スクリーンからは飛沫は飛びません」と語ったことを紹介しながら、映画について語っている中の一節である。私たちは映画や美術・工芸品を鑑賞し、コンサートや催し物を愉しみ、時代の様々な文化に自由に触れてきた。それが「宣言」ひとつで触れ合う機会を奪われてしまう事態になるとは、まさに想定外のことであった。
市川教会でも、昨年2月に第五土曜コンサート(53回目)を予定していた。「うるう年の第五土曜」という珍しさもあって楽しみにしていたのだが、コロナ禍は更に広がり、政府からも「不要不急の外出自粛」の要請が出される状況となった。そのような中、コンサートの三日前に「開催」を決断した。演奏者のHさんからは開催前に「私の仕事は、政府の言うところの不要不急で成立しております。次々とキャンセルが続く中、演奏できることの幸せを本当に痛感しています」とのメールをいただいた。演奏者の方を含め私たちが多くの時間を費やして準備してきたことが、「不要不急」と表現され括られてしまうことに、何ともやるせない思いを抱かせられていただけに、そのメールにとても励まされた思いであった。コロナへの警戒が始まって一ヶ月、私たちは「文化は案外もろい」を実感させられ始めた時であった。
全地がまだ一つの言語、同じ言葉であった時、人々は名を上げるために、天に届く塔を築くことにした。神は降ってこられたが、彼らがしようとしていることは、もはや誰も止められないと嘆かれ、彼らの言語を混乱させられた。塔の建築がとまり、人々は各地に散らされた。(創世記11章)バベルの塔と呼ばれる話であるが、何物も恐れることはないと思いこんでいた人間だったのに、言語を断つだけで立ち行かなくなる程に、繋がりも思いも案外もろいものなのだと、人間の歴史の始まりから神は警告されていたことを忘れてはなるまい。
コロナ下、行動が制限される日々。当然と思っているものほど案外もろいと気付かされている。もちろん主の日に礼拝を守ることも同様で、それは当然の事なのではなく、「案外もろい」ものなのだと気付かせてもらったのだから、「だいじにしなければ!」(前述)と見詰め直していきたい。
市川教会の第五土曜コンサート、来年こそは再開できることを願いつつ!