信じる
祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
毎日、私たちは新しい日々を与えられ、それぞれが心を新たにします。
私たち人間だけではありません。
木々や、野の花も命を与えられ輝いています。
たとえ、私たちにはあまり見えなくても
土の中に温もりや冷たさを感じます。
一つ一つのことは今、神様、あなたに命を与えられているからこそできることです。
私たちが今、神様、あなたに命を与えられているということを感謝できますように。
これから語られますみ言、この語る者を通して、
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン。
『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』マルコ12:10-11
おはようございます。
私たちはいつも、私たち一人一人のために、
キリストイエスが十字架の苦難の先の、命への道を歩まれておられることを
思い返す日々を共に歩んでます。
毎年毎年イースターの前の季節に、イエス様が歩まれた十字架の
先へと続く命への道を覚えて礼拝を守りますが、
毎年、イエス様が十字架に掛けられて死んで、
毎年、三日後に復活されてイースターを迎えるわけではありません。
イエス様が十字架に掛けられ、亡くなられ、三日後に復活されたのは一度だけです。
しかし、そのことを思い返し祈る私たち一人一人は、
イエス様を思い返す度に、その意味が自分に新たに語りかけられるのです。
今、ご一緒にお読みいたしました聖書の箇所では、
たとえ話をされるイエス様と、当時社会的に偉いとされていた人たちの、
心の中心が全く違っていることがわかり、とても滑稽に思いました。
このたとえ話は、偉い人たちには自分たちへの当てつけだと思ったようでしたが、
イエス様の心の中心は神様です。
そのような小細工は必要ありません。
当時偉いとされていた人たちは、神様ではなく群衆を恐れます。
私たちの心の中心が、自己防衛のためや権力やお金に向いてしまうとき、
イエス様を忘れてしまいます。
イエス様の教えさえも、自分を責めているようにしか受け取れないときもあります。
しかし、全ての一人一人を大切にして下さる神様であるイエス様は
変わることはありません。
私たち一人一人の心を神様に向けていて大丈夫です。