ありがとう私を思い出してくれて

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詩編51:3-11
51:3 神よ、わたしを憐れんでください/御慈しみをもって。深い御憐れみをもって/背きの罪をぬぐってください。
51:4 わたしの咎をことごとく洗い/罪から清めてください。
51:5 あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
51:6 あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し/御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく/あなたの裁きに誤りはありません。
51:7 わたしは咎のうちに産み落とされ/母がわたしを身ごもったときも/わたしは罪のうちにあったのです。
51:8 あなたは秘儀ではなくまことを望み/秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
51:9 ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください/わたしが清くなるように。わたしを洗ってください/雪よりも白くなるように。
51:10 喜び祝う声を聞かせてください/あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
51:11 わたしの罪に御顔を向けず/咎をことごとくぬぐってください。

祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。

私たちの心は、何を中心にするかで、自分の行動や価値観がまるで違ってきます。自分が尊敬している方だったり、今必要な物であったり、名誉であったり。しかし、命と向き合う「時」を与えられる時に、今ある自分が当たり前ではなく、たくさんの与えられている恵みによって、支えられていることに気付くことがあります。私たちが気付いても気付かなくても、いつも変わらず私たちに、たくさんの恵みを与えて下さる神様に感謝します。これから語られますみ言、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって、聖書から聴くお一人お一人と、皆さんの心にあるお一人お一人へ、神様あなたがお語り下さい。この語る者の全てを神様、あなたにお委ねいたします。このお祈りを主イエスキリストのお名前を通して、み前にお捧げ致します。アーメン。

『神よ、わたしを憐れんでください』詩編51:3

 おはようございます。『神よ、わたしを憐れんでください』詩編51:3

と詩人は詩(うた)い出します。

しかし、神様は「何をいまさら言ってるんだ、もう私はとっくにあなたを憐れんでるではないか」と怒り、一人一人の祈りにいちいち腹を立てられるのではなく、神様は「私に心を向けてくれて、ありがとう」と一人一人に心を留めて下さいます。

このことは人間が神様に造られてからずっと、何千年も何百年も前から、毎日毎日繰り返されてきたのかもしれません。

でも神様は「また、お前か」と言われるのでも、「いい加減、私を休ませてくれ」と言われるのでもなく、「よく私に心を向けてくれた、ありがとう」と、いつもいつも受け入れて下さいます。私たちの日常での多くは、何かを私が要求しなければ、与えても、わかっても、もらえない。そのような関係に慣れてしまっているように思います。

もし、私が要求する前に、私の要求したいことがわかっていた相手から「そのくらい、言わなくてもわかるよ」と言われてしまうことも少なくないような気がします。

 でも、神様は違います。あなたが「神様、私を憐れんで下さい。」と言う前に、もうあなたを憐れんで下さっておられます。ただ「神様、私を憐れんで下さい。」と祈ることで、あなたが今も確かに神様によって憐れまれ、大切にされていることに気付くのです。

私は、一人でいろいろ考えていて、悩んでしまっているある時に、「自分が今、何を考えてて何をして、何に悩んでいるかを一つ一つ文章に書いて、それを客観的に見てみなさい。」と言われて、一生懸命やってみたことがあります。文字が自分でうまく書けない今でも、パソコンで文字を打ってみることがあります。

祈りも同じではないでしょうか。ただ祈りは、具体的な言葉で 悩みを客観的に自覚するためではなく、 いつも自分を受け容れて下さる方に心を向けるだけで、いつも神様にどんな自分もそのまま大切にされ、憐れまれていることに気付かされるのです。

神様はいつもあなたの祈りに心を傾け「ありがとう。私に心を傾けてくれて」と喜んであなたを受け入れて下さいます。

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