弱さは光

マルコ14:27-31
​ 14:27 イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』/と書いてあるからだ。 14:28 しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」 14:29 するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。 14:30 イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」 14:31 ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。
  

 

  

祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
空を見つめる人、土の中から出ている芽を見つめる人、
風を感じたり土の匂いや花の香を感じたり、光を感じたり。
私たちはいろいろな命の中に生かされています。
全てが神様、あなたから与えられている恵みであり、愛に溢れています。
たとえ私たちが悲しみや不安の中で、何もかもが全て自分から引き離され孤独だと自分に閉じこもっていたとしても、
そんな孤独な心をこじ開けるのではなく、
私たち自身が心を神様あなたへ向けるときを
あなたはじっと待ち続けてくださいます。
今、災害に遭われて孤独の中におられる方々や、
悲しみに押しつぶされそうな方々の心に寄り添う神様からの愛を、
私たちの祈りを通して、そして神様からの御業を通して伝えられますように。
これから語られます神様、あなたからのみ言、
この語る者を通して神様、あなたがここにおられるお一人お一人へとお語り下さいますようお願いします。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお捧げ致します。

アーメン。

 

「イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』と書いてあるからだ。」マルコ14:27

 

おはようございます。
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所において、
主イエスがご自分が捕らえられることで弟子たち一人一人が散らされると言われます。
これは言い換えると弟子たちは自分を置いて逃げて行ってしまうと語ります。
「だからお前たちは弱いんだよ」とか「だめな弱い奴らだ」と罵るのではなく淡々と語られます。
今お読みした聖書の箇所より少し後では、あんなに主イエスを裏切らないと言い張ったペトロさんでさえも
主イエスが言われた通りに「主イエスなど知らない」と裏切っていきます。
主イエスはご自分の予言した通りに、人間が行っていくことを楽しまれていたのでしょうか。
それとも人間が主イエスに嘘を言っているのを心で笑っていたのでしょうか。
いいえどちらも違います。主イエスもそこにいた弟子たちも本気です。

今ここで聖書を読んでみ言に聴いている私たちも同じではないでしょうか。
「神に誓って絶対こんなことはしない」と言っていても、
その誓いを破ってしまったり、その誓いを立てた時とは状況が変わってしまいできなくなることなどないでしょうか。
だから自分は弱いんだよ、とついつい責めたくなるときもあります。
でもそれが人間です。それも神様が愛されておられる人間の姿です。
神様は失敗しないで完璧潔癖でいなさいとは私たち一人一人に望みません。
できないこともある自分には弱さもあると受け入れ、
できない自分に向き合ったとき、神様に立ち帰ることを神様は待って下さってます。
自分の弱さから溢れ出る神様からの愛は私たちには止められません。
神様に立ち帰ること、それは自分自身の心を神様に向けることです。
そして自分の弱さを受け入れるとき、あなたの隙間から神様からの愛の光が周りの人を照らします。
今日一日も神様に用いられる一日でありますように。

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