わたしを思い出して
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は、「最後の晩餐」と題されていて、 有名な画家の絵の題材にされたりした箇所でもあります。 聖書に書かれている通り、イエス様がいよいよ十字架に掛けられようと、 捕えられる前に最後に行った弟子たちとの夕食の場面です。 これは、今も行われている聖餐式の初まりでもあ...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は、「最後の晩餐」と題されていて、 有名な画家の絵の題材にされたりした箇所でもあります。 聖書に書かれている通り、イエス様がいよいよ十字架に掛けられようと、 捕えられる前に最後に行った弟子たちとの夕食の場面です。 これは、今も行われている聖餐式の初まりでもあ...
私たちはいつも、私たち一人一人のために、 キリストイエスが十字架の苦難の先の、命への道を歩まれておられることを 思い返す日々を共に歩んでます。
皆さんのイエス様のイメージっていったいどんなでしょう。 お一人お一人がお持ちになられているイメージの細かい所は違っていても、 だいたい同じで、穏やかでやさしい方というイメージが大半ではないでしょうか。 ところが今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所においては、 ほとんどの方のイメージとは違って、...
「ねぇ、本当?」そのように言いたくなるような言葉が弟子の口から語られます。 『たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。』 マルコ14:31 でも、イエス様は問いません。弟子のその時の気持ちを大切に思われるからです。
祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。 「大きくなったらパパのお嫁さんになる」って、幼い頃に言ったことがあります。 本人...
ヨハネによる福音書の1章1節は「初めに言(ことば)があった」と始まります。イエス様が語りかけられるみ言は、聖書を読んでいる私たち一人一人に今も語りかけられています。私たち一人一人は今どこで生きているでしょうか。私たち一人一人の命はどこで誰が造ったのでしょうか。
おはようございます。ひそかにイエス様に終わりの時の徴について聞く弟子たちに「私はあなた方一人一人と共にいて、全てを与えているじゃないか、まだわかってくれないのか。」とイエス様は言われません。ただ、「人に惑わされないように気を付
「ばっかじゃない。この人こんなに何回も使用人にひどい目にあっているのに」と思われる方も少なくないと思います。実際この聖書の箇所を読んだとき私も思いました。