
祈り
弟子たちはイエス様に「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた時、すぐに「何言ってんですか、私たちはちゃんと祈りましたよイエス様!」と言いたかったかもしれませんが、聖書にはそのような弟子たちの言葉は載っていません。
弟子たちはイエス様に「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた時、すぐに「何言ってんですか、私たちはちゃんと祈りましたよイエス様!」と言いたかったかもしれませんが、聖書にはそのような弟子たちの言葉は載っていません。
「やっと目を向けてもらえたなぁ」と思えたのが、「子どもの声」に関するニュースを聞いたからである。「『子どもの声は“騒音”ではない』法律で定めることも視野に政府検討」(4月28日TBSニュース)という報道を聞きながら、その一方で少し物悲しさも感じてはいた。
え、ユダがわざわざ合図をしなければイエス様ってわからなかったの。」この聖書の箇所を読む度に私は思いました。初めてみことばにであわれる方も「イエス様って、そんなにいつもご自分の身を隠されておられたのかしら」「イエス様の正体を暴くために、ユダは合図を決めたのかしら」と思う方も少なくないと思います。...
「こんなはずはなかったのに」と自分が予想もしていなかった結果にびっくりしたことや後悔したことはありませんか。
「おまえは嘘つきだ。さっき違うことを誓ったじゃないか」こんなふうに言われたり、人からなじられたことはありませんか。私はあります。
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は「最後の晩餐(ばんさん)」と題されていて有名な画家の絵の題材にされたりした箇所でもあります。聖書に書かれている通り、イエス様がいよいよ十字架に掛けられようと捕らえられる前に行った弟子たちとの最後の夕食の場面です。これは今も教会で行われている聖餐式の初まりで...
皆さんのイエス様のイメージっていったいどんなでしょう。お一人おひとりがお持ちになられているイメージの細かい所は違っていても、だいたい同じで穏やかで優しい方というイメージが大半ではないでしょうか。ところが今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所においては、ほとんどの方のイメージとは違って神殿の中で商売...
今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は「エルサレム入城」と言われ、イエス様がその時代にユダヤ教で大切にされていた行事に参加されるために歩んだと語られる箇所です。
今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所において、 主イエスがご自分が捕らえられることで弟子たち一人一人が散らされると言われます。 これは言い換えると弟子たちは自分を置いて逃げて行ってしまうと語ります。 「だからお前たちは弱いんだよ」とか「だめな弱い奴らだ」と罵るのではなく淡々と語られます。
いろいろ初めてのことに出合い、計画を立てる方々や、 様々な理由で計画しておられた方々がその通りにならないこともたくさん起こっています。 それら一つ一つのことに心を痛めたり心をはずませたり、 いろいろな思いが私たちにはあります。 嬉しいことも悲しいこともいろんな想いが複雑に絡み合う、 それが私たち...