
信じる
私たちはいつも、私たち一人一人のために、キリストイエスが十字架の苦難の先の、命への道を歩まれておられることを思い返す日々を共に歩んでます。
私たちはいつも、私たち一人一人のために、キリストイエスが十字架の苦難の先の、命への道を歩まれておられることを思い返す日々を共に歩んでます。
皆さんのイエス様のイメージっていったいどんなでしょう。お一人お一人がお持ちになられているイメージの細かい所は違っていても、だいたい同じで、穏やかでやさしい方というイメージが大半ではないでしょうか。
「そうかぁ、眠ってはいけないのか。神様も随分、難しいこと言うなぁ。守れないよ。」と思われる方も少なくないかもしれません。
「こんなはずではなかったのに」と、自分が予想もしていなかった結果にびっくりしたことや後悔したことはありませんか。私たちは物事の結果に期待して、行動することが多くあります。
私はよく、このように自分が聖書のみことばから聴いて書いたメッセージをまとめたものを、A4の紙にプリントしてお配りします。
ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「マルコ15:39」で、「本当にこの人は神の子だった」と百人隊長と呼ばれる人の言葉として語られます。 聖書から聴くあなたには、今、どのように語られていますか。
弟子たちはイエス様に「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことはできないのだ」と言われた時、すぐに「何言ってんですか、私たちはちゃんと祈りましたよイエス様!」と言いたかったかもしれませんが、聖書にはそのような弟子たちの言葉は載っていません。
「やっと目を向けてもらえたなぁ」と思えたのが、「子どもの声」に関するニュースを聞いたからである。「『子どもの声は“騒音”ではない』法律で定めることも視野に政府検討」(4月28日TBSニュース)という報道を聞きながら、その一方で少し物悲しさも感じてはいた。
え、ユダがわざわざ合図をしなければイエス様ってわからなかったの。」この聖書の箇所を読む度に私は思いました。初めてみことばにであわれる方も「イエス様って、そんなにいつもご自分の身を隠されておられたのかしら」「イエス様の正体を暴くために、ユダは合図を決めたのかしら」と思う方も少なくないと思います。...
「こんなはずはなかったのに」と自分が予想もしていなかった結果にびっくりしたことや後悔したことはありませんか。