命の道を歩まれるときに

祈り)天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
今日は誰かの記念日です。神様あなたが一人ひとりに息を吹き入れ命を与えて下さっている人間一人ひとりには、その命が与えられた日、誕生日があります。
「私はもう誕生日を祝うような歳じゃないわ」と言われる方もおられるかもしれませんが、
一人ひとりに命が与えられるかけがえのない日に、歳は関係なく喜んでいい日です。
私たち一人ひとりは今、神様から与えられている数えきれない恵みの中を生かされています。
いつも私たち一人ひとりを大切にされ共に歩まれる神様に感謝できますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して、ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン。

【参照聖書 マルコによる福音書11章1〜11節】
言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。」(2節)

今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所は「エルサレム入城」と言われ、イエス様がその時代にユダヤ教で大切にされていた行事に参加されるために歩んだと語られる箇所です。

 昔の日本で言うお伊勢参りに近い宗教的行事だったと理解しています。そして、このイエス様のエルサレム入城はいわゆる十字架への道を歩まれていったとも言われております。しかし、この聖書の箇所はなんとクリスマスの季節が始まるアドベントの第一主日にも読まれる箇所です。イエス様のエルサレム入城もお生まれになられた意味も十字架の死に続いてたのでしょうか?

 決してそうではなく十字架の死を超えた命への道を私たちに与えて下さったのです。でも、現代に生きる私たちがどんなに聖書を読んだとしても、聖地旅行へ行ってエルサレムの土を踏んだとしても、イエス様を目で見る事はできません。イエス様は今、私たちの目には見えない聖霊のお姿で共におられるからです。

主イエスは弟子達に言われました。「主がご入用なのです」と、子ロバを連れて来るように。命への道は主イエスがお一人で歩まれるわけではありません。主がご入用なのは現代に生きる私たち一人ひとりでもあります。イエス様をお一人にしないで下さい。主イエスが命への道を歩まれるその時、あなたが必要です。

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