身の処し方が問われる

第五章 岐路に立ち選択するとき

人生は選択の結果である。人生の結果に影響するのは、環境と出来事、そして生まれつきの素質であり、加えて自己の決断がある。環境と出来事と素質は変えることができないが、しかしそれだけで人生が決定されるわけではない。人生を最終的に決定するのは自己の決断である。その決断は、環境や出来事や生まれつきの素質にもかかわらず、それらを超えて人生を決定する。その決断を促すものはなにか。それを発見した者こそが人生に勝利する。

蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。(マタイによる福音書10章16節)

【解 釈】 世のなかを渡るには、真っ正直では損をする、だから少々ずるくてもよいから要領よくやりなさいと解釈したくなる言葉である。たしかに世のなかは生き馬の目を抜くと言われるように、抜け目のない人間がうようよしている。人のいい人間はなににつけても出鼻をくじかれたり、貧乏くじを引いたような気持ちになったりすることが多い。イエスは、だから世間のずる賢さに負けるなと言われたのであろうか。

もともとこの箇所は、弟子たちを伝道の旅に送り出すにあたって、「あなたたちを送るのは、羊を狼の群れのなかに放つようなものだ」と言われた言葉に続いて語られたところである。羊を狼のなかに送るとは、はじめから勝ち目はない戦いを予測しているのであって、負けることが目に見えているのである。伝道の旅とはそれほどつらいことだよというイエスの思いがある。その負け戦に際し、どのように身を処すかが、この言葉に意味されているのである。

聖書では「蛇」は優れた賢い動物とは書かれてはいない。また「鳩」が純真無垢と思われたわけでもない。「蛇」はその動きが敏捷(びんしょう)であることから逃げるのが早いとされ、「鳩」は起こった事態に逆らわないと解釈するのがこの場合は正しい。世のなかではずる賢いこと、被害を被るようなことが起こる。イエスはそれに対して、すばやく動くことと、起こった事態に逆らわないことの両方があると言っておいでになるのである。要は、世のなかを見る目を養うことである。

【こころ】 カウンセリングの勉強を始めた方は最初のころ、「来談者の言うことに耳を傾けてよく聞きなさい。それから、相手が言った事柄の内容や感情を相手にそのまま返しなさい」と教えられるものです。たまたま話をしている相手から、「そうですか。あなたは……と思っていらっしゃるのですね」と返事をされて、きっとこの人は最近になってカウンセリングを学び始めたにちがいないと思うことがあります。

仮にAさんとしておきましょう。その方の職場にうるさい同僚Bさんがいて、仕事のことでなにからなにまで指図をする人でした。ときにはAさんも言い返すことがあったようですが、指図されるたびに落ち込むことが多かったと言います。

このAさんがカウンセリングの勉強を始めることになりました。練習をかねていたのかもしれませんが、学び始めの人によくあることで、相手の言ったことをそのまま返すような返事をAさんはBさんにしたのです。おそらく「Aさん、そのやり方じゃまずいよ」とBさんが言うと、「あなたはまずいと思っているんですね」と返事をしたのでしょう。こうした返事の仕方が幾度か交わされるうちに、Bさんの態度が変わったと言います。Aさんに小言をあまり言わなくなったのです。相手の言ったことをそのまま返すというのは、逆らわないということです。Bさんからすれば、Aさんになにを言っても、自分の言ったことがそのまま返ってくるので、のれんに腕押しといった感じになったのでしょう。いわば、事態に逆らわないAさんの態度がBさんに勝ったのだと言えます。カウンセリングの学び始めの効用が思わぬところに顔を出したのです。

賀来周一著『実用聖書名言録』(キリスト新聞社)より

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