信じる強さ

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祈り)
天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
しかし、いつも目覚めを喜ぶことができる私たち一人ひとりではありません。
もう少し目をつぶっていたい現実や、できればなかったことにしたいような出来事が突然起こったりもします。
それが生きているということなのでしょうか。
時々、生きていることさえ面倒になる現実もあります。
そのような時でも神様あなたは私たち一人ひとりと共にいて、共に立ち止まり、共に歩んで下さいます。
あなたに生かされ、今というかけがえのない時を与えられていることを思い起こすことができますように、
一人ひとりの心を神様あなたがお支え下さい。

これから語られますみことば、この語る者を通して
ここにおられるお一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。

アーメン。

【参照聖書箇所:ローマの信徒への手紙4章13〜25節】

イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。(25節)

 

新約聖書の一番始めから読もうとして人の名前が、しかも、あまり日本では聞き慣れないカタカナの名前がずらずらと書かれていて「よし、聖書を読むぞ」という決心が何度もくじけそうになった覚えはありませんか?私はあります。確かに新約聖書の一番はじめにある『マタイによる福音書』にははじめに神様が造られたアダムからイエス様への系図が、それこそずらずらと記されており、ちょっと戸惑います。私たちにも先祖をたぐる系図というものがあり、それを持っておられる方も少なくありません。しかし、この系図はイエス様がこの世にお生まれになられたのだと聖書を読む私たちへの証しでもあります。

もう一つ系図があります。系図と言っても書き記す必要もないけど、大切な系図です。はじめに申し上げた系図が血統を示す系図なら、こちらの系図は信仰を示すものです。今、ご一緒にお読みいたしました聖書の箇所において
「父アブラハム」という言葉がたくさん出てきますが、日本人である私の血統に、果たしてアブラハムはいるのだろうかと考える必要もないのです。「信仰」の系図には時代も国も性別も関係ありません。今、あなたは神様を信頼していますか?これだけです。信頼の仕方や態度、そのようなことを他の人が判断することでもありません。「信仰」は比べるものでも差別するものでもなく、神様に全てをお委ねます。この世の価値観が、自分の存在を小さいものであるかのように思わせる時もあります。

しかし、復活されて今も共にいて下さる神様、イエス様が等身大のあなたをそのまま受け入れていて下さっておられます。

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