神様のみ心に従う

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祈り)
天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
今日、誰がどこで目覚めたか、そのようなことはある程度知っている人くらいは気になりますが全く会ったこともなく知らない人のことなんてあまり気になることはありません。
しかし、家族は違います。お母さんやお父さんや兄弟が起きてこなかったり、早く眠ってしまったり、
顔色が悪いと気になります。私たち一人ひとりは神様にとって全ての人が家族です。
神様に大切にされて信頼されている存在であることを思い起こし今日も安心の中を精一杯生きましょう。

これから語られますみことば、この語る者を通して
ここにおられるお一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。

アーメン。

【参照聖書箇所:使徒言行録8章26〜40節】

フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すぅべての町を巡りながら福音を告げ知らせカイサリアまで行った。(40節)

「神様からのお導きで」とか「イエス様のお導きで」という言葉はなんの抵抗もなく私たちは聞きますが「霊のお導きで」というのはなんとなく怪しいように聞こえることがないでしょうか?それは、私たちが持っている「霊」という言葉へのイメージからくるのかもしれません。目には見えない得体も知れない力であるとか、死んだ人の霊とか。

今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「使徒8:26-40」のフィリポの働きもまさしくこの「霊のお導き」での出来事です。聖書に書いてあるから、私たちはどこかで「これも神様のお働きのかたちなんだな」と思えますが、なんとも不思議なことがあるもんだと思えばそれで終わってしまうかもしれません。この物語は宦官(かんがん)が神様へ導かれて喜びに満ちあふれます。

キリスト教では「神様からのお導きで」と言うのも「イエス様のお導きで」と言うのも「霊のお導きで」と言うのも皆、同じ神様の働きのことを言います。それらの三つの働きによって、私たちは神様に愛され大切にされていることを知らされるのです。神様の三つの働きのことを「三位一体」と言い、神様からの良い知らせを私たちは「福音」と言います。しかし、その一つひとつは一人一人の実際の生きた証しでも私たちに示されます。

今、あなたが存在している。そのことが神様には必要なのです。

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