あなたを信じて
祈り)
天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
一日一日が神様、あなたから与えられているかけがえのないものであると感じることができる時、
その中で与えられている一つひとつに感謝をできる時があります。
しかし、いつも思うことはなかなかできませんが、そのような私たち一人ひとりの弱さも
神様、あなたは全て包んで大切にして下さいます。
私たち一人ひとりは神様にいつも大切にされていることを思い、今日も精一杯生きることができますように。
これから語られますみことば、この語る者を通して
ここにおられるお一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン。
【参照聖書箇所:使徒言行録2章22〜36節】
だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。
あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。(36節)
最近、私は特に思うことがあります。それは自分は入院した病院から帰ってこれるのだろうか、と不安に思うことです。来週は皆さんに会えるな、といつも当たり前のように思っていたのですが、考えてみると当たり前の「今」という時はないんだなと思いました。それならば、私たちはどうすればいいのでしょうか。今を精一杯生きるって、まだまだ自分には時間があると思っている人には思いもつかないことなのかもしれません。明日がある、と平気で思えることが多いからです。
弟子たちにとってのイエス様も同じだったのかもしれません。イエス様はずっと姿が見えるかたちで一緒にいて下さると、きっと弟子たち皆が思っていたでしょう。しかし、今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「使徒2:22-36」に書かれているように、イエス様は十字架の刑におかかりになり死んでしまいました。「ずっと一緒におられると思ったのに。」と弟子たちは裏切られたような気持ちでいっぱいだったかもしれません。
でも、神様であるイエス様は今も一緒におられます。それはイエス様は復活され、今も聖なる霊として私たち一人ひとりと共にいて下さるからです。神様であるイエス様は、明日どころか今も私たちと共におられます。だから、私たちは不安になることはないのです。しかし、いくらいつもイエス様が共におられると思っていても姿は見えません。触れて確認することもできません。私たちは不安になることもあります。しかし、一人ひとりを大切にされておられる神様が、一人一人にとって良いときを用意して下さいます。いつもいつも、聖書に書かれているような方であるイエス様が私たち一人ひとりと今も共におられるのです。安心して今を精一杯生きていきましょう。