あなたがた一人一人の全てを私が選んだ

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祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
私たちは一日に何度も目覚めたり、たった一度目覚めたり、いろんな目覚めを体験します。
面倒くさい目覚めやスッキリとして気持ちよく感じる目覚め、一人ひとりの数だけ目覚めの感じ方は違います。
一人の人の感じる目覚めでさえ、その時その時感じ方が変わります。
それは、私たちが生きている形です。
しかし、神様、あなたから与えられる目覚めは変わることはありません。
それは目覚めだけのことではなく、命やみ言、時や愛など、神様、あなたから与えられるもの全ては一人ひとりに同じように与えられています。
それらを受け取る私たち一人ひとりが、どう受け入れるかは自由です。
どうか、あなたから与えられる一つひとつに、神様、あなたへの感謝ができますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して、
ここにおられるお一人お一人へと神様、あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様、あなたへお委ね致します。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。

アーメン。

 

【参照聖書箇所:ヨハネによる福音書15章16〜17節】ヨハネ10:22-30

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。(16節)

今、ご一緒にお読み致しました聖書の箇所のヨハネ15:16で、イエス様はこのように語られます。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」と。「あれ?この言葉どこかで聞いたことがある」という言葉に、何度か出合われたことはありませんか。私は今、与えられた言葉が「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」でした。自分の部屋に飾ってある小さな色紙に、そのみことばは書いてありました。自分が思ったように体が動かなくなったり、自分が思っているようには仕事ができなくなって落ち込んだり、このまま私は何の役にも立たなくなってしまうのではないか、生きててもしょうがないんじゃないかと。正直言って、私も落ち込んだりの繰り返しです。でも、今、与えられたみことばは、私にも、一人ひとりの方にも、やさしく語りかけられるのではないでしょうか。「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と、イエス様はおっしゃっておられます。「今、あなたが生きている場所や空間は私が与えている。そして私が与えているあなたという命と、私が共にいるあなたは何も恐れることはない。」と、イエス様は一人ひとりに言われます。

先ほど私の部屋に飾られている小さな色紙に、そのみことばは書かれていたと言いました。その色紙は2003年3月、10年前に私が神学校を卒業するお祝いとして、前に通っていた教会の牧師がくださったものでした。その牧師も、この色紙に寄せ書きしてくださったお二人の方々も、もう天に召されています。みことばは今も生きて私たち一人一人に語られています。それが聖書に書かれている言葉かもしれません。他にも私たちの周りに溢れています。自然であったり、出会う人たちの表情であったり、なぜなら全てが神様に与えられているものであり、全ての一人ひとりと共に、神様がおられるからです。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」

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