生きていてくれてありがとう

祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
私たちはいつも神様のみ心に従い、深い祈りの中、十字架へと向かって歩まれるイエス様の、私たち人間への深い愛に感謝致します。

私たちに与えられているもので当たり前のものは何一つありません。
その与えられているもの一つ一つに、感謝をすることが私たちにできます。
今与えられている一つ一つを感謝しながら歩んで行かれますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して、ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてをお委ねいたします。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。

アーメン。

【参照聖書箇所:マタイによる福音書26章1〜5節】

しかし彼らは、「民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。(5節)

「あなたにとって今、何が大切ですか?」何を急に先生は聞くのだろうか?と思われた方も多いと思われます。一つには絞りきれない方や、そんなの時と場合によって違うわ、とおっしゃれる方もおられると思います。

それでは、今ご一緒にお読み致しました聖書に語られている登場人物にとってはどうでしょうか?イエス様とイエス様の弟子たちと、民の長老たちや祭司長たちです。イエス様にとって大切なのは、もちろん神様のみ心です。イエス様の弟子たちにとっては、イエス様と言いたいのですが人間です。時と場合によって違ってしまったりします。民の長老たちや祭司長たちにとってはどうでしょうか。民の長老や祭司長たちにとって大切なのは、民衆からの自分たちへの評価でした。民衆の騒ぎが起こらないように、イエス様を殺そうとしている事の実行は、祭りの後に計画しています。

私たち一人一人の心の中心や大切な事が、人からの評価であったり、自分が理想とする何かである時があります。それらのことの全てを否定するわけではありませんが、他人から受けるあなたの存在や、命の評価が大切なのではありません。また、自分以外の人の存在や命の否定はできません。それは時と場合によるものでも、たくさんある大切なもののうちの一つではないからです。

命、存在、それは神様によって与えられています。必要とされあ、なたは命を与えられています。いつもいつも忘れずに命を与えられていることを、神様へ感謝することはできたり、できなかったりかもしれませんが、神様はいつもあなたに「生きていてありがとう」と愛を送って下さいます。