与えられている光

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祈り)天の神様、私たち一人一人に、新しい目覚めをありがとうございます。
いつもなら、こんなことにならないのに。今まで思ったことじゃないことが起こった。
そのように感じることが起こるとつい、「神様なんで?」と祈ります。
でも、神様は「私を思い出してくれた。」とおっしゃって、どんな思いでも受け入れて下さいます。
「こんな思いは」と遠慮するのではなく、どんな思いであっても神様なら受け入れて下さいます。
今のありのままの自分を、神様あなたに捧げます。

これから語られますみことば、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって、
聖書から聴くお一人お一人と、皆さんの心にあるお一人お一人へ、神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを、神様あなたにお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通して、み前にお捧げ致します。
アーメン。

【参照聖書箇所:詩編47篇2〜10節】
すべての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い。叫びをあげよ。(2節)

突然ですが、皆さんは耳に虫が入ってしまったときには、虫をどのように耳から追い出しますか?そのようになった時は、慌てずに懐中電灯か、何か強い光を耳の穴に向かってあてると、その強い光の方に向かって虫が飛び出すと、昔、私は聞いたことがあります。
耳に虫が入った経験はないので、実際に試したことはありませんが、パッと光があたり、自分の行く方向が示されると、虫も安心して光の方向へ飛ぶんだなぁと思いました。

さて、今ご一緒にお読み致しました聖書の箇所、詩編47編ではこのような詩を詩人は詩(うた)い始めます。

『すべての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い。叫びをあげよ。』詩編47:2

私たちは誰に向かって歌うのでしょうか。誰に向かって喜び生きるのでしょうか。それは神様です。神様ってどのような方なのですか?神様はあなたを造られ、あなたというかけがえのない存在を、大切にされておられる方です。私たちが心を向けて祈る方は、ご自分ではなくあなたを大切にしておられます。

 私たちが暗闇に迷い込んだように、迷い、そして悲しみ、辛いときも心を向けて安心する光のような方がおられます。その方はあなたを決して見放しません。ご自分の都合が悪いからとあなたを手放しません。見放すどころか、しっかりと抱きしめて下さいます。手放さないで手をしっかりと握りしめて、共に歩んで下さいます。

あなたが心を向ける方向、あなたが向かって歌う方。喜び生きる方向は神様です。神様は全てをあなたに向けて、あなたを大切にされています。

『すべての民よ、手を打ち鳴らせ。神に向かって喜び歌い。叫びをあげよ。』詩編47:2

 あなたの帰る場所は神様のところです。いつも神様は「お帰り、あなたを待っていたよ。」と迎えて下さいます。

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