どうして神様?

 祈り)天の神様、私たち一人一人に新しい目覚めをありがとうございます。
私の心の中の価値観を今、支配しているのは何だろう。ふと、そのようなことを考えます。
自分の親や兄弟である家族の価値観であったり身近な人の価値観であったり。
自分がちっぽけな存在であるかのように思える時も、大きく思えたりする時もあります。
人と比べてみたり、昔の自分と比べたり。
でも神様、あなたは今のそのままの私が、そのまま生きていていいと受け入れて下さいます。
いつも心をあなたに向けて生きられますように。

これから語られます、みことば、この語る者を通して今、聖霊のお導きによって
聖書から聴くお一人お一人と皆さんの心にあるお一人お一人へ神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたにお委ねいたします。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してみ前にお捧げ致します。
アーメン。

【参照聖書箇所:マタイによる福音書20章1〜16節】
このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。(16節)

今ご一緒に聴きました聖書の箇所において、イエス様は初めに「天の国は次のようにたとえられる。」と語り始められます。天の国での主人は神様です。神様にとって大切なものは一人一人のかけがえのない存在であり、その一人一人へ与えられている命です。あなたという命の存在が神様にとって何よりも大切です。

 しかし、私たちが生きているこの社会にはいろいろな価値観があり、それが自分の存在の意味までも決めてしまう時もあります。また、それらの価値観が全てであるかのように人を判断してしまうこともあります。学校でテストの成績が悪い、とか会社の営業がうまくいかないとか。家庭の中で態度が悪い、貧しいから、臭いから。。。いろいろな場所でそこにふさわしいとされる基準があります。その一つ一つは、それぞれが大切です。でも一人一人の人間の存在価値を決めるものではありません。

 私はあれができないから生きる価値がないんだ、これができないからダメなんだ、ではなく、あなたは神様に造られた大切な存在です。たとえ、あなたが自分で思ったり人が思っている通りのことができなくても、あなたは大切な存在であることには変えられないことなのです。「天の国」って特別な所で、どこか遠い所にあるのではなく、神様の価値観の中で生きる所でもうすでに一人一人と共にあるのです。「私なんてこのまま生きてていいの?」と思わず、神様やいろんな人に問いたくなります。神様は答えて下さいます。命や存在の意味は他の人にではなく神様にしか答えられません。神様は答えられます。

「あなたは大切な存在です。私がいつも共にいてあなたに命を与えています。」