今このときも

祈り)天の神様、私たち一人ひとりに新しい目覚めをありがとうございます。
私たちはたくさんの命の中に生かされて今があります。
花を咲かせて一瞬のように散っていく花や、やっと芽を出してこれから咲こうとする花、
「あれ、こんなところにもあったんだ」と道ばたに咲く花に思わず笑顔になるときもあります。
そんな花々に自分の気持ちが写るような時や心を救ってくれるようにみえる時も、
神様あなたから与えられているものは私を責めるようなことはなく、見守り、包んで下さいます。
神様あなたから与えられている、かけがえのない今を感謝して生きることができますように。

これから語られますみことば、この語る者を通して、ここにおられるお一人おひとりへと
そしてそれぞれの心にある方々お一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。
神様あなたにすべてをお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン

【聖書】マルコによる福音書15章33〜41節
「本当に、この人は神の子だった」

ご一緒にお読み致しました聖書の箇所「マルコ15:39」で、「本当にこの人は神の子だった」と百人隊長と呼ばれる人の言葉として語られます。 聖書から聴くあなたには、今、どのように語られていますか。

「何をいまさら言ってるんだ」とか「あら、この言葉には注目しなかったわ」とか「ふーん、死んでからわかったんだ」「どうして今わかるんだ」と、聴く方の数だけ反応があり、思うことも違うのだと思います。それでいいと思います。だって間違いなく今あなたのためにキリストは十字架につけられ、十字架上で息を引き取られたのですから。たった一度だけのキリストの死、でもすべての一人ひとりのための死であり命の証しです。終わりではなく始まりです。

時々こんなことを思う時があります。「苦しい。どうして私は生きているんですか。殺して下さい。」と。死は終わりなのでしょうか。苦しみから解放してくれるのが死なのでしょうか。「死んだらどうなるの?」と思う時もあるでしょう。しかし、今、私たちが共に聴いた聖書の箇所で語られます。 「たとえあなたが死んでも、神の子イエス・キリストはあなたと共におられます。」

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