孤独な時の聖書 ~もし透明人間だったら~

詩編3編 

3:1 【賛歌。ダビデの詩。ダビデがその子/アブサロムを逃れたとき。】
3:2 主よ、わたしを苦しめる者は
どこまで増えるのでしょうか。
多くの者がわたしに立ち向かい
3:3 多くの者がわたしに言います
「彼に神の救いなどあるものか」と。〔セラ
3:4 主よ、それでも
あなたはわたしの盾、わたしの栄え
わたしの頭を高くあげてくださる方。
3:5 主に向かって声をあげれば
聖なる山から答えてくださいます。〔セラ
3:6 身を横たえて眠り
わたしはまた、目覚めます。
主が支えていてくださいます。
3:7 いかに多くの民に包囲されても
決して恐れません。
3:8 主よ、立ち上がってください。
わたしの神よ、お救いください。
すべての敵の顎を打ち
神に逆らう者の歯を砕いてください。
3:9 救いは主のもとにあります。
あなたの祝福が
あなたの民の上にありますように。〔セラ
  
祈り)天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
新しい目覚めはいつも当たり前のように思って過ごしていますが、決して当たり前ではなく、神様あなたから一回一回丁寧に、一人一人に与えられる恵みです。

自分が目覚めたその現実を喜ぶこともあれば、こんな現実の中なら目覚めたくなかったと神様を恨むこともあります。しかし、神様はあなたにとって本当に必要な「時」を今,与えて下さってます。感情的に出したり引っ込めたりするような駆け引きは、神様からの愛にはありません。そのような日常の当たり前に見えるような些細なことにも神様へ感謝できますように。

これから語られますみ言、この語る者を通して、ここにおられるお一人お一人へと神様あなたがお語り下さい。この語る者の全てを神様あなたへお委ね致します。

このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン

もし、自分が透明人間だったらどうしますか?「考えたこともないわ」と言う方もおられるかもしれませんが考えてみて下さい。

私は幼い頃、多分ちょうど反抗期真っ最中だったくらいに「透明人間になりたい」と思いました。そうしたら誰にも干渉されず誰からも監視されず自由にできるような気がしたからです。でもどうなんでしょうか。

本当に今、誰からも見えなくなって、誰からも干渉されず誰にも監視されなくなったら、「ただいま」と家に帰っても誰にも気付かれず、何か失敗しても誰もわからない。笑っても泣いても怒っても自由ですが誰にも解ってもらえない。孤独です。

実際に姿が見えても見えなくても、そのようなことは起こります。特に現代社会には多いのかもしれません。「無関心」という世界です。

「愛」の反対は「無関心」です。しかし、神様はあなたが見えても見えなくても、たとえ自分で存在否定して自分を見ないようにしていても、あなたが透明人間のようであっても、あなたというかけがえのない一人の存在を愛されます。

だから一人一人は孤独ではありません。今朝ご一緒にお読み致しました聖書の箇所にある「救い」とは、孤独からの解放の意味もあります。どこかから助けてもらうことや何か物を与えてもらう、というような一時的な助けより深く、神様は私たち一人一人に関心を持たれ、一人一人を愛して下さっています。たとえあなたが透明人間になったとしても、神様には見える見えないは関係ありません。

一人一人がそのまま神様に愛されていることをいつも感謝できますように。

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