かけがえのないあなただから

詩編40:8-12

40:8 そこでわたしは申します。
御覧ください、わたしは来ております。
わたしのことは
巻物に記されております。
40:9 わたしの神よ、御旨を行うことをわたしは望み
あなたの教えを胸に刻み
40:10 大いなる集会で正しく良い知らせを伝え
決して唇を閉じません。
主よ、あなたはそれをご存じです。
40:11 恵みの御業を心に秘めておくことなく
大いなる集会であなたの真実と救いを語り
慈しみとまことを隠さずに語りました。
40:12 主よ、あなたも憐れみの心を閉ざすことなく
慈しみとまことによって
いつもわたしをお守りください。
  

祈り)
天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
そして今、私たちはあなたに心を向けて、
お一人おひとりの心にある一人ひとりと共にみ言に聴きます。
この与えられるときを感謝致します。
私たちは「当たり前」という言葉で、なんと多くの物事を見過ごしてきたことでしょう。
今を生きていることも、笑ったり怒ったりすることも、
それら一つひとつは決して当たり前なことではなく、
神様あなたから与えられるかけがえのない一つひとつであることを思い
感謝いっぱいで過ごすことができますように。

これから語られますみ言、この語る者を通して
ここにおられるお一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。
この語る者の全てをお委ねいたします。

このお祈りを主イエスキリストのお名前によってお祈り致します。
アーメン。

そこでわたしは申します。御覧ください、わたしは来ております。わたしのことは 巻物に記されております。(詩編40:8)

 

先日、住宅を紹介するテレビ番組の中で、ガラス張りのお風呂を紹介する場面があり、なんだか嫌な気持ちになりました。いくら「誰も見ていないから大丈夫だよ」と言われても、私はあまり入りたいと思う物件ではありませんでした。中にはそういうところがあったほうが開放的で好きだわという方もおられるかもしれません。

私たち人間には大なり小なり「隠し事」を持ってるのではないでしょうか。それらが人を支えることも少なくありません。「人が見ていても見ていなくても、悪いことはしてはいけないよ。神様はちゃんと見ておられるのだから」と幼い頃に言われてた記憶があります。実は神様のほかにもう一人、自分自身が悪いことをしていることの目撃者なのです。

 しかし、それが本当に悪いことだったのか、実はわかりません。悪いと思っているのは自分だけかもしれません。神様はすべてをご存知です。愛の眼差しで一つひとつをご覧になられています。決して一人ひとりの粗探しをするためにご覧になられてるわけではありません。監視するためでもなく、なんとなく見ておられるわけでもありません。ただ、一人ひとりを大切に丁寧に見守られています。一人ひとりと共に悲しみ、共に喜ばれるのが神様です。神様に覚えられている存在であることを、喜んで生きたいと思います。